2017年09月12日

適応能力

人間の適応能力はすごいなと思う。力を抜く武術を年月かけて学んできて、ようやくちょっぴり「力を抜く」方に心身が適応してきているのを感じる。普段の生活の中で代表からも「お前の歩き方、重いなぁ」「なんだこの指先の重さは・・」冗談交じりに、そう言われることが増えた。

力みまくっていた私が力を抜く体質を獲得し始めることが出来たのも、適応能力のたまものと言える。無意識に力んでいた自信を意識し、まずは意識できるところ、自覚できるところから力を抜き続けた。意識できるものなど氷山の一角で、無意識が変わることがなければ本当の意味では力が抜けないのではと、練習、稽古のみならず日頃の生活態度、人との接し方、人から受ける影響、反応、稽古で、稽古以外で、自分自身の状態をいつも省みてきた。力みの自覚が出てくるたび、それを「力を抜く方へ」と促し続けた。苦しいより楽へ、複雑より単純へ、我慢より変化へ、ぶつかるより逸らすほうへ、個体から流体へ、流体から気体へ、受け止めるより流すほうへ、盤石より柔軟へ、絶対より相対へ、集中より漠然へ、静止より揺らぎへ、・・・色々なことを少しずつ方向転換させていく試みを通じて、それに心身が適応してきている。

力む身体を力まなくさせるには、力まないことに適応させていくこと。力まなくていいんだと体が理解し、そうなるまでは、促し続けるしかない。人は案外、自ら自分を追い込み、破滅させ、がんばらなくてはいけない状況を作り出し、嘆き、取組み、時に放り出し、自己嫌悪し、背負いこみ、追いこんでいく。私自身にはそういう傾向があった。そうでない選択を知らなかったんだな。

今、より力を抜くことに適応を始めている自分自身に「すごいね〜〜」と褒めている。今現在放映しているアニメ、ドラゴンボール最新作に出てくる、全宇宙で一番偉い全王さま、通称「全ちゃん」の声で褒めている。一番偉い全ちゃんの見た目は5歳くらいの子供で、声も子供そのもの、発言も、行動も無為自然で、かつ備える力は宇宙一。そこが逆に恐ろしいのだ。全ちゃんはよく語尾に「ね〜〜」をつける。

「すごいね〜〜」

マニアックな話題で申し訳ありません(笑)
posted by ゆりか at 12:45| Comment(0) | 日記

2017年09月11日

動き続ける

わけあって、珍しく地下鉄に乗ってレッスン場まで参りました。地下鉄に乗ることにウキウキしすぎて昨晩から今朝にかけ、軽く興奮状態でした(笑)

うれしく地下鉄を乗り継ぎ、レッスン前に格技室で練習。サンドバッグを軽めに少し打ち、自由舞をし、様々な態勢で力を抜きまくります。寝て、座って、立って、小さな動き、大きな動き、手足も動かし、または手足は動かさず。

ふとさっきまで打っていたサンドバッグを見ると、軽い音をたてながら微妙に回転しながら揺れ動いている。

打ち終わって大分経つのに。

サンドバッグは生き物じゃないから、ただ重さのある物体。ぶらさげている鎖は、人間の関節のごとくパーツに分けられそれぞれに動く。さっきまで存在していた様々な方向からの圧力を、鎖とサンドバッグ本体の両方で残していて、本体の重さと鎖の稼働域の自在性によりなかなか動きが収まらないのだろう。

ほんとに体と一緒だ。重さと、人間本来の稼働性。きっかけは自発的でも、外部からでもいい。

それを見ながら、微妙に揺れ動く体で立禅をしてみました。フムフム。なかなかどうして、オモシロイ。。

さて、のり巻きを食べて、一休みしたらレッスンです(^o^)/
posted by ゆりか at 11:59| Comment(0) | 日記

2017年09月10日

力を抜くと

力を抜くと、落下する。挙げた腕は落ち、体のすべては常に下に引っ張られている。数値ではなく感覚で体重を認識する。う・・体って・・・重い・・・と思う。

力を抜くと、流れが起き、流れは止まらず動き続ける。前へ動く小さなきっかけがあれば、力の抜けた全身は前へ行き続ける。後ろも横もあらゆる方向にしかり。動き続けることを邪魔するのは、作為、力み。動きを収束させてくれるのは、重力による方向性。いつでも帰るのは真下。鉛直。

力を抜くと、他動性を感じる。きっかけにより動く体、重力により落下する力、地面から反発する力、攻撃してくる相手から引き出される動き。

力を抜くと、なんだか気持ちがいい。頑張りやり抜く達成感とはまた逆の、ある種の深い快楽がある。

わたしにとって大抵のことは、自由舞をしているどうでもよくなる。どんな思考・感情よりも強い快さが、自由舞によって引き出される。

人にはそれぞれ、そういうものがあるんでしょうねーΨ( ̄∇ ̄)Ψ
posted by ゆりか at 21:55| Comment(0) | 日記

2017年09月09日

秋の空体道講座

1504968833751.jpgこの秋にまた空体道講座をやらせてもらうことになりました。私の都合で日程が変更になったのですが、事務局の皆さんは真摯に丁寧に変更に対応してくださいました。ほんと、ちえりあの皆さんには頭が上がりませんm(。_。)m

感謝感謝。。

ご興味のある方は是非申し込んでくださいね(^o^)/
posted by ゆりか at 23:56| Comment(2) | 日記

足踏みのごとく

代表の映像を繰り返し見ていると、代表の足が動き続ける様に、今の自分の不足を感じた。

私の足は二本ある。その二本が立つことと、移動すること、蹴ったり払ったり踏んだり防御したりと刻一刻様々に変化する。

足が自由になるためには腰まわりが自由でないといけない。腰が固まったままどんなに足を動かしても、重心は動かず、全身の連動はかなわない。

腰まわりがある程度ゆるんだ上、足が動く。

先日書いたサウザーウォーキングのごとく、足の裏の一ミリの変化に全身が瞬時に同調する、均一であることは相当に難しい。それが決まった方向のみならまだしも、あらゆる方向を含むものならなおさら。

レッスン前の自主練習では、まずは小さな足踏みのような、小幅の歩みのような足が動き続ける感覚を、自由舞として行った。右足にのって〜、左足にのって〜、と大きな動きでやればやるほど、今の私はその乗っている瞬間が居着いている。その足を払われると、まだ体幹部も大きく動く段階ゆえに、態勢が持っていかれやすい。

足踏みのごとく、小幅で歩むがごとく、足は止まらない。その中に体幹部も手法も、クリーンヒットを避けるべく頭部も、自在に動く。

これまでにない感覚の練習となりました。

その後代表がそれと通ずる自由舞を見せてくれたが、その体現できる段階の違いをはっきり認識した。認識したからこそ、歩める。

行く先は果てしないが、そこへ至る道は確かに存在している。みんなで伸びよー(^o^)/くーたいどー!おー(^o^)/
posted by ゆりか at 23:53| Comment(0) | 日記