2017年12月04日

動きの優先順位

拙いながら動きの優先順位が少しずつ変わってきている。

組手にしろ、相手に抵抗してもらって重さを伝える練習にしろ、はじめのうちの何年間は

頭(作為)→腕・肩(接触点・防御反応・攻撃準備)→体幹部→足※全てが肉体の表面

であり、次第にそれが体の内面を少しずつ伴うようになってきつつ順位も変わってきて

頭→体幹部→腕→足
頭→足のうら→体幹部→腕
頭→丹田→背中→腕

などと試行錯誤を経てきた。段々と

頭(作為)→スタートも減ってきて、体が先に動き出すことがあったり、どこから動いているか認識できないほどスムーズな瞬間も出てくる。

また逆に、学びはじめの頃のように腕から動き始めてもある程度重さを伝えられることもあり、それは体の質が変わったことによる。

頭の割合は大分減ってきている。筋肉は力を出すものではなく方向づけをするものと野口体操の本でも書いておられたが、脳みそも、思考を豊富に蓄えて巡らすより方向づけをするだけで良いのかもしれない。

こうしよう、ああしよう

とボンヤリ思うことを体が実現する。淀みなく停滞なく。それは心地いいもんです。

今朝はなんとなく窓拭きとワンコの洗髪をしました。昨日は洗車を。特に考えているつもりはないが、体が大掃除を始めているらしい(笑)
posted by ゆりか at 13:38| Comment(0) | 日記

ある映画

10代から20代の頃、家でレンタルビデオやDVDにて映画をよく見ていた。

昔はよく、重いテーマ、身近にはないが恐怖を感じる人生のテーマを扱った映画を見る傾向があった。小説や映画でそれらについて疑似体験をし、どう感じ、どう心のなかで解決するのかを自問自答したものだ。

自分なりの答を見つけられず、ある種心の傷として保留にしたままの映画がいくつかあり、そのうちの一つを先日テレビで放映していた。

ベスト・キッドの続編にも主演したヒラリー・スワンクの熱演が評価された、ボーイズ・ドント・クライ。当時まだ耳慣れなかった性同一性障害と、閉鎖的な田舎町の偏見、鬱屈した人間の激しい暴力性を描いた、実際の事件をもとにして作られたショッキングな映画だ。

暴力に対する恐怖は勿論だが、暴力を行使する人間の内面をどう受け止めていいのか悩んだ。

代表から武道を学び、日々自分の体と内面と向き合い、想定として暴力に対応する術を学でいると、その裏にある普遍的な人間の内面を想像する機会が多い。

あの映画をはじめて見たときよりは、実際の暴力への対応力は増しているし、人の内面の暴力性を、今は受け入れている。そのためか同じ映画を観て、以前のような疑問と怒りと悩みは浮かばないことに驚いた。

ああいうことは、悲しいが毎日世界じゅうで起こっている。そして私自身も含めて、人間の内面には少なからず狂暴性がある。

それを踏まえた上で自分の内面をどうしたいのか、どう生活したいのか、日々空体道にいつもその答をもらっている。

修練を重ねる自分の心身の変化こそが、その答えなのだなと思う。

ある意味では強くなっているし、ある意味では弱くなっている。複雑でもあるし、単純化もしている。でも行きたい方向へ向かっているのは間違いない。

あの映画を見て、当時の自分と今の自分の違いを実感した。人は変わるものだな。
posted by ゆりか at 10:42| Comment(0) | 日記