2017年12月13日

山月記

自らの狂気ゆえに獣の姿に変わってしまった天才、李徴を描いた中島敦の山月記。何度読んでもその文体に惹かれる。

江守徹の朗読を聞いてますます好きになった。語彙は難解で度々サラッと聞き流せない言葉が出てくるのに、軽快なリズムがその難解さを打ち消してくれる。以下引用

ろうさいの李徴(りちょう)は博学才穎(はくがくさいえい)、天宝の末年、若くして名を虎ぼう(こぼう)に連ね、ついで江南尉(こうなんい)に補せられたが、性、狷介(けんかい)、自ら恃む(たのむ)所頗る(すこぶる)厚く、賤吏(せんり)に甘んずるを潔しとしなかつた。

中略

この頃から其の容貌もしょうこくとなり、肉落ち骨秀(ほねひい)で、眼光のみ徒に(いたずらに)炯々(けいけい)として、曾て(かつて)進士に登壇した頃の豊頬の美少年の俤(おもかげ)は、何処に求めやうもない。

既に変換できない漢字もいくつかありますが、どうしても紹介したく、頑張って打ち込みました(笑)声に出して読みたくなる文章なんですよね。。上の文章だけでも是非ご一読を。。

最近浅田次郎の本(随筆と短編)ばかり読んでおり、浅田次郎が推薦する物語を集めた本も読んだところ、この山月記が入っていました。以前から好きでしたがまた読み返すいい機会になりました。さすがジロー!
posted by ゆりか at 15:51| Comment(0) | 日記

くるまれる

力の抜けた体で技をかけられると、接触部位は柔らかく、全身を持っていかれるので、風呂敷で全身をくるまれたかのように制御されてしまう。

槍やハンマーで切られたり叩かれたりするというより、くるまれてポイッヽ( ´ー‘)ノ⌒○という感じになる。

この相手をくるんでしまう体は、柔らかく自在な重い体から生まれるのではと思う。くるむような感じはまだ私には身に付いてないが、昨日から存在するこの感じがもしかしたら日頃稽古で体験しているあれに近づくものかも。

全身の力を抜ききっていく。そして相手の打撃にも、崩しにも、体のなかの一部で反応しないこと。自分からの打撃も崩しも、一部で動かないこと。その先にあの「柔らかくて不快じゃないのに、完全に制御されてどうにもならない」という段階があるのかもしれない。
posted by ゆりか at 09:04| Comment(0) | 日記