2018年11月13日

繊細でよい

空体道の求める技術や質の向上には、ある意味では繊細な感覚が必要となる。

力づくの強さ、相手を押さえつける強さではなく、相手に合わせる、相手に付き従う(それを高めたがゆえの相手の意識と動きを完全に捕らえる制圧もあるが私にはまだできないので)、臨機応変さは繊細な感覚があればこそ高まる。

私にとっては、強さよりも繊細さのほうが素養がある。繊細さといえばかっこいいが、わたしの場合は感性が無駄に敏感なところがあり、打たれ弱くて自滅しやすい性質をもつ。

長年そこは克服しなくてはならない課題だと思っていたが、この生きにくい感性が、この武道の向上には役立っていると今はわかる。

最近また自分の弱さや過敏さを自認する機会が続いたが、それで良いのだと、今は思っている。

弱いからこそ気づくことがあり、向上できる道がある。

今晩もレッスンいってまいりやす((o(^∇^)o))
posted by ゆりか at 19:31| Comment(0) | 日記

2018年11月11日

ナンコ組手

時折体がこの動画の猫のように感じる。動きのきっかけだけを起こしたらあとは重力と流れによって動き続ける。そんな風に組手ができたらと今朝の稽古で心がけてみました。組手では相手の動きが私の動きのきっかけになります。ぶつからない、停滞しない、すり抜ける、変化する、とろける重さの動き。

我が家では猫のことを「ナンコ」と呼ぶので「ナンコ組手」。また取り組んでみます。ニャー(ФωФ)

https://youtu.be/HcDycLidmE4


posted by ゆりか at 13:23| Comment(2) | 日記

2018年11月08日

ただ話すように

空体道のめざす体のありかた、武道としてのありかたに「普通の動き」というキーワードがある。

人の普通の動きには色々な可能性が含まれていて、襲ってくる相手に対して普通の動きができれば身を守ることができる。

突進してくる相手に、ただ道を譲るように一歩移動する、ドアノブに触れるがごとく普通に相手の攻撃手に触れ、地面の10円を拾うように手を下ろす、これがとてつもなく重く、起こりのわからない堪えようのない技として相手にかかる。が、この状況で普通に動くことは心身ともに非常に困難。人は容易に何かにとらわれ、普通でいられなくなる。

ある歌の専門家が、歌の最終形態は「ただ話すように歌うこと」と言っていた。からだ本来の声のだ仕方、呼吸や響き、あらゆる可能性を最大限に引き出した上でただ話すように歌う。空体道と非常に共通するなと感銘を受けた。これをしている歌手は玉置浩二であるとの指摘も納得。

作り込む表現の素晴らしさもあれば、ただ話す、ただ動くなかにもとてつもない可能性がある。

今日もただ動こー\(^o^)/
posted by ゆりか at 07:28| Comment(2) | 日記

生活の中の動き

空体の十二種の型は、人間のできる動きのエッセンスである。はじめの三つは前後の移動を伴うが、これは歩くことに直結する。

立つこと、歩くこと、移動することがそのまま体重を力にすることであり、それに様々な手法が伴うことであらゆる動きに全身の筋力や体重を最大限に活用することが可能になる。

後半の回転を伴う型をずっと体に通していると、体は本来できるのに生活の中で忘れゆくものを思い出す。

歩行中の方向転換、ものを移動させる動作、振り向く動き、年を重ねると、ただこの動作だけで体を傷める人は多い。

生活の中で失われていくからだ本来の動きを、身に付けるというより取り戻していく。

空法は、そのことに気づかせてくれる。
posted by ゆりか at 07:15| Comment(0) | 日記

2018年11月07日

ものたりないほど

力んだ動きから抜けてくる過程で、一時期

ものたりない

と感じることがある。以前はこんなにたくさん動いていたのに、これしか動かなくていいの?と、呆れるほどなにもしない感じだ。

それを経ると、見た目には小さな動きだが内面が滞りないので、重さが十分通ってくる。

ものたりなかった小さな動きに含まれる内側の流れをより繊細に感じられるとまた新たな快さが出てくる。

最近また動きがちがう感じで気持ちいい。午後レッスンもありがたく動きます。
posted by ゆりか at 13:52| Comment(0) | 日記