2018年12月20日

反応しない

今晩の稽古では、代表のご指導のもとで打撃に反応しない練習を行いました。ボディや足に拳や足で様々な打撃を加える。日頃ならその動きの流れと圧力に従い流して接近して反撃する練習をしますが、あえて黙って受けてみる。案外ダメージが少ないことを知りました。

心は過剰反応どころかほぼ無反応、桜でも眺めているように穏やかなままでいると、打撃をもらう体はウォーターベッドの如く弾力があり、流そうとしなくても衝撃が分散するようだ。

威力は相手にリクエストして耐えれる範囲でやってみる。はじめは怖いが確かに慣れてくる。だからって皆さん私を殴りに来ないでね(/´△`\)

昔代表から「痛みに囚われるな。あぁ、痛いなぁで済ませるようになる」と言われたのを思い出す。確かにそうだ。

人の心身は面白い。
posted by ゆりか at 22:09| Comment(0) | 日記

体に通す

ある武術の型を説明するとして

両腕を下から上に挙げ、指先は前方遠くへ伸びるよう、目線は遠く先の全体を眺めるよう、肩まで挙がった腕を、同じ速度で降ろしていく際に、肘と手首をそれぞれ緩めて、掌は下を向く

これは形の問題として、その際の意識。足の裏、地面奥深く下に引かれる引力に従い立ち、引力に引かれる力を感じながら全身の重みを失わずに腕全体を挙げる。糸繰り人形の如く、筋力で挙げるのでなく自然に挙がるよう、また引力に従い自然に下がるよう降ろす。

これを技として解釈すると、相手の正面または背面から肩や髪の毛を掴んで下へ引き崩す崩し技、顔面を上から下へ叩き落とす打撃、掌での打撃と肘での打撃、指先、爪を用いた引っ掻きとして、背面から抱きつき、相手の自由を奪い引き倒す、等々挙げられる。

これだけ言葉を用いてひとつの技の形、意識、技の応用を知ったところで、それを身に付けたとは言えない。言葉は頭で知るものであり、動き、技、そこに含まれる質は体でしか知ることができないからだ。体感し、体得するには体験を繰り返すしかない。

当会の組手練習では、先の太極拳の起勢の崩し、空体道で言えば上下手の崩しは基本技として度々使用される。

ただ、これを起勢とか上下手だと知ることが重要なのではなく、するもされるも体に通すことが重要。

先入観ない曇りない体で体験を繰り返すことが、習得の近道。

言葉に囚われず、頭と体が分離しないよう、情報社会の今だからこそ、体で学ぶことを大切にしたいですね。

映画「バロン」にでてくる、頭と体が別々に存在する月の神様から着想を得たブログでした。
posted by ゆりか at 13:47| Comment(0) | 日記