17世紀の哲学者スピノザのエチカを取り上げていて、最終回は真理について。
解説の方が、17世紀はデカルトとスピノザ、この二つの認識があったのでは、と話していたのが非常に興味深かったです。私の理解で書く。間違ってたらごめんちゃい。
デカルトは「我思う、ゆえに我あり」に代表されるよう、認識が存在であると考えた。思う我があるから、我は存在する。それが真理だと。これを観念に置き換えると、認識すなわち知ることが真理だとなり、体感しようがしまいが真理だとも解釈できる。
スピノザは、人間は変化する生き物であり、変化に応じてその瞬間に「これだ」とそれ自身が訴えてくる(と感じカルトの二元論が宗教一色だった歴史の分岐点となり、その後の西洋の科学や文化を発展させた一方で、今日の情報や科学技術依存社会に生きる私たちへの警鐘になっている気もする。
武術でいえば、真理はスピノザの言い分がしっくり来る。日々の練習の実行と気づきの連続が、言葉や体験した術理や質の理解を変える。
感動さめやらぬうちブログに書いてみました。
秋頃のワンコ写真とともに、今年最後のレッスンへgo\(^o^)/