2019年08月28日

想像もつかない

あるジャズピアニストの年を重ねての演奏を聞くと、一瞬破綻しているようでもあり、けどすごく楽しそうで、聞いてるとすぐわかる深い世界があって、完全なる個性の表出で、曲自体は定番なのに演奏の数分は完全に音に飲み込まれた。

知り合いの高名な画家は、精密さや計算や技術を取っ払った、瞬間芸のような絵を描いてみたいと話す。

武道の究極がただ動く、とすると、先の二人の成熟した芸道と通じて、うまくあることは全く不要になるんだろう。

うまさの次元が変わると言ってもいいのかな。

代表の技も、多分素人目には昔の方がわかりやすい。僭越ながら、私の競技選手時代の動きも、素人目には今より当時が良く見えると思う。

でも、衰えない重さの体を磨きあげた代表の今のシンプルな動きが、どれだけ察知しにくい、また強烈な威力を備え、かつ本人がいたって楽であることは十分承知している。私の武術の総合力も、過去の比ではない。

うまさとか、すごさとか、わかりやすい結果を経て、だんだん何か別の次元が出てくるのだ。例えとして私も入れたが、いつか目指す立場として恐縮ながら同列に置く。

少し前に、失うから得る、というブログを書いたが、それとも通じる。

今目指しているもの、または過去に目指していたもの、得たものは、非常に不確定で小さい。ただただコツコツ歩み続ける先に、今は想像もつかない果てしない次元があるのだと、あるジャズピアニストの演奏を聞いてまた思った。※山下洋輔のことでした。筒井康隆つながりで。

こうしてテクテク武道を歩んで、死ぬまでにどうなっているのかと思うと、死ぬ日が楽しみでもある。トンデモばあさんになってるのかな。

明日も死ぬのに1日近づくぞ〜!よぉ〜し!!
posted by ゆりか at 23:35| Comment(0) | 日記

萎縮より解放

今週木曜と土曜の体育館練習は5週目のためお休みです。いつもの練習がないと寂しいですね〜

レッスンは年中無休であるのですが。

指導でどんな言葉を発するかは、その時々の体の状態で変わるが、最近は体について言葉にしなくなっている。体のどこかに意識を向けるとアンバランスが起こるからだ。

あまりにも顕著に動かない部位があるなら意識してもいいが、意識をしないことも大切。

よく組手の際に代表が、意識を相手や自分に限定せず、格技室中に広げる、という。狭い意識は過剰反応を生むが、広い意識は包容できる。

意識状態で体が変わることを、以前とはまた違う形で体感しているため、体への働きかけが減っているのだろう。

水曜日午前は某高齢者施設の太極拳。午後は別の高齢者施設で気功体操。どちらも参加者は明るく、また、仲良し。練習も大切。楽しい気持ちで仲良く過ごすのも大切。

意識を萎縮させず、のびのび解放しよう。

夕方は美容室ハート素敵にしてもらおう!わくわく(*^^*)
posted by ゆりか at 09:08| Comment(0) | 日記