型の選手から代表の武術へ転向した時、あまりの何もできないぶりに型のうまさを無意味だと感じたものだ。それは単なる己の無力さからの反抗だったのだと今はわかる。
代表は戦えるし、かつ型もうまい。そして型のうまさの判断基準が、人により全然違うのも当時はわからなかった。
代表の型のうまさは、誰が見てもすごさがわかるうまさ。威力や能力がわかるうまさ。(それが表に見えるうちはまだまだだ、とよく言いますが)
当時の私にあったのは、競技ルールに則ったうまさであり、いまは空体道の理に沿ったうまさが多少はある。
型のうまい下手には基準がたくさんあるから一概には言えないが、型をたくさんやってきたことで体に向き合う訓練は多少はできていた。だから動きの質を真似るのがそれなりにできるのかもと今は思う。
ヒステリックだった当時は色々なものに対して
意味がある!
無意味だ!
とレッテルを貼ってきた。でも今思えば全てのことに意味はあるし、かつ全てに意味はない。
判断する自体がナンセンスなのだな。
真理は人それぞれ。
それでいいのだあ〜\(^_^)/
と足振りしながら更衣室で書いています。
2020年01月21日
意味無意味
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ハリネズミポット
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