2020年03月21日

二時間してみた

昨晩二時間立禅をしてみました。立禅だけを続ける時間としては過去最長。まだ力みが出るのでたまに腕を振ったり少し足を動かしながらですが、1分と休むことなく通しました。

不思議と、段々楽になる。体が慣れてきて、余分な力が抜けてくるのだと実感しました。こうした稽古を地道に繰り返し、費やした先にいつか、普通ならば力む場面で一切力まない、最小限の力で最大限の能力を発揮する状態に至るのだろうと想像できます。

長めの立禅、しばらく続けてみる予定です。

色んなところがぴきぴきいってますが、レッスンです。その前にまた少し立禅をば。
posted by ゆりか at 10:31| Comment(0) | 日記

2020年03月20日

やるほどに

本日も、空体道の練習体系を繰り返しています。間に夫婦崩しあい練習を挟む。立禅を長くやるようにしていますが、いかんせんまだまだ力みが出る。やればやるほどに余計な力は抜けてくるので時間をかけて続けます。

昔の武術修行者は、入門して3年間、毎日6時間立禅をやったと聞いたが今なら頷ける。総合力が嫌でも養われますわな。

ぶっとおしで6時間ではなく細切れにはなりますが、少し増やしていきます。
posted by ゆりか at 21:55| Comment(0) | 日記

2020年03月19日

わからない

わからない、ということを大切にしたい。わからないものを無理にわかろうとすると、わかるように変型して箱に押し込めてしまうことになる。

以前に代表が、未知のものを未知のまま楽しめと書いてくれた。

色んな経験を経て、体のことも自分のことも、人様の気持ちも全然わからない。空体道のことも、日々代表と話し、日々練習し、わかっていなかったことに直面する。

よくよく、なんにもわかっていないのだとわかる。

でもわからない状態は楽しい。こどもの頃の眠れないほどのわくわくや、絶望的な恐怖とは、わからないから起こること。大人になるにつれて「わかったような顔」がうまくなるだけ。もっと「わからなくていい」のだとスティーブン・キングと養老孟司と代表から教わった。人間の最高到達点に達した人は、本人も自覚なく、言語化もできず、わからないままなのかもしれない。中島敦の名人伝のように。

わからなさが未知なる可能性の扉が開くのだあ〜

開け〜ゴマ!
posted by ゆりか at 13:13| Comment(0) | 日記

2020年03月18日

常識を超えてくる

夕飯後に代表が、武道の極意としてよく引用される作為(自我)を超越した猫の話と絡めて、型について話してくれました。

型や技術をどれだけたくさん知っているかより、そこに備わる数少ない要素をいかに体得するかが大切である。空体道が型を少なくしているのはそのためであると。

脱力し少ない型をひたすら通して体に染み込ませ、対人稽古を繰り返し型が型を越えて体内に普遍化すると、あらゆる動きに備わる威力や精度が研ぎ澄まされる。

そしてその体から作為(自我)すら消え去ったとき、常識を超えた力が備わっている。

古くからこうした教えがある以上、その境地に達した人は昔からいたのだろうとも。

世に多くの素晴らしい武道がありますが、空体道もその可能性の扉の一つになるのだと私は信じています!

ロマンがありまくりですぅ!フゥ〜!
posted by ゆりか at 21:33| Comment(0) | 日記

空体道の体

家での自主練習は常に空体道の内容になる。今日は朝一回、夕方一回、夕飯後一回、操身法と立禅と空法を通した。やるほど体が変わっていくのがわかる。空体道の体へと。

なんか満ちてくるのです。脱力の快さと共に柔らかな充実に満たされる。

空体道の型をやりこむことは、体質を根本から変えることなのだと実感する。

力まず満ちる。まだ力みもあるし、均一な充実にはほど遠いが、兆しはあるみたい。

全身が重さで満ちるようになったら、ミチルに改名しようかな。

あたし、ミチル!みっちゃんて呼んでね!

と、架空のお友達に話しかけてみる。休み期間に変態度合いが増してるかもなあ。映画と本の過剰摂取が原因かと。
posted by ゆりか at 21:19| Comment(0) | 日記