2020年03月18日

脱力の全力の突き

全身の脱力による全力の突きを撮影して見てみました。なるほど、前より脱力が進んでいます。

ただ、代表のと見比べると威力が細くて鋭い。力みがまだ威力を制限して無駄に尖っているのがわかる。ただ、これを経て次に至るので良いのです。

よくがんばってます、あたい。

季節外れの暖かさのなか、レッスンです!
posted by ゆりか at 13:49| Comment(0) | 日記

2020年03月17日

内面の目

SNS上の知り合いがこんなことを投稿していた。英語だったので何となくの訳をする。

ある老人のもとに、近所に越してきた若者が挨拶に来てこう尋ねる。

この町にはどんな人々が住んでますか?

老人は聞き返す。

前に住んでいた町はどんな人々が住んでいたのかな?

(若者)意地悪で乱暴で下品な人ばかりでした。

(老人)この町も同じだよ。

別の日、また違う若者が越してきて挨拶に訪れ、同じ質問をする。同じやりとりの後若者が答える。

前の町はみんないい人ばかりで、明るく楽しいところでした。

(老人)この町も同じだよ。

この例えばなしが教えてくれるのは、己の内面の目が周りを作るということと理解します。内面の目が変われば、まわりは変わる。違って捉えられる、という意味ですね。

内面を変えられないと、いつもまわりに影響され、いつまでも平穏は訪れない。力みを取り除く過程で学んでいることと共通するので言わんとしていることがよくわかります。

耳が痛くもあるのですが(*_*)
posted by ゆりか at 15:53| Comment(0) | 日記

2020年03月16日

相棒ピクルス

ローソンで出会った299円のピクルス。保存料・化学調味料無添加の優れもの。酸っぱいもの好きの私も時折むせかえるほど、いい〜酸味。今や相棒です。酸味嫌いの夫の鼻に入らないよう、自室にコッソリかくまってあります。タマランチ!

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posted by ゆりか at 09:36| Comment(0) | 日記

特別ではなく

生活の中でよく立禅をしていることに気がつく。全身がどうあるかに気を配り、じっと耳をすます。立っていても歩いていても座っても、何かをしていてもそういう心身の状態は立禅といえる。

以前は立禅をもっと特別なものととらえていた気がする。特別なフォームで特別な気持ちになって、特別な力を得る特別な練功だと。でも特別なものととらえるほど日常から乖離していき、立禅のもつ普遍性から遠ざかっていた気がする。

稽古を日常化するほど、いい動きを日常化するほど武道は身に付いていく。これも、仕事が少ない今の期間だからこそ気づけた。

本日もスティーブン・キングを読みながら立禅のまま生きます。まずはレッスンです!
posted by ゆりか at 09:21| Comment(0) | 日記

2020年03月14日

分けない

映画を観ながら空法や立禅をやる。練習はもはや特別なものではなく、生活態度の一部である。自室は縦長の空間なので前後歩と換歩シリーズが中心になる。

繰り返し繰り返し同じ動きを続けると、動いているのと止まっているの差が減ってくる。護身術に準備体操はあり得ないのと同じ理由から、動きと静止が一つになるのが望ましい。

映画を観ている自分と、練習している自分に区分けはない。

なんか楽しい(о´∀`о)
posted by ゆりか at 10:45| Comment(0) | 日記