2020年04月29日

これだ

喜怒哀楽の何にも属さず、幸福だ!と叫ぶ勢いもなく、不幸では全くなく、ただ静かである。そんな脳内、体内時間が増えている。

顔文字で表すと

( ̄ー ̄)

これだ。

\(^o^)/でもないし((T_T))でもo(`^´*)でもない。

( ̄ー ̄)これが好き。

今もこうなっている。

( ̄ー ̄)←あたし
( ̄ー ̄)←夫
o(__*)Zzz←犬

我が家はしょっちゅうこれ。

平和だのう。
posted by ゆりか at 21:48| Comment(0) | 日記

可能性に意味が

いつも練習をやる前は、わくわくする。公園で一人で太極拳を通す、自宅で空法をする、立禅をやる。今からやるぞと思うと、わくわくする。待ちに待った週刊雑誌のページをめくる気分だ。

私は体のことを、自分のことを何も知らないと知っているからだ。

過去の経験や得た知識は可能性のほんの1部で、そんなものでは縛れない無限性がそこにはある。終えた時はいつも未知を体験した快感に包まれる。でもそれすらほんの1部に過ぎないのだ。

なにより気が滅入るのは、「こうだ」と定義されること。正しい武道とは、正しい脱力とは、正しい社会常識とは、マナーとは、健康効果とは、云々。空体道は可能性を表現する武道である。護身術として技術も理論もきちんと習得できる、臨機応変でしなやかな心身を養える、衰えにくい動きかたや健康効果も一般的な言い方で説明できる、でももっと大切なのは可能性にある。仕事上、必要な時には頑張って言語化するが、言語化の縛りが、日に日に苦手になる。本当はただただ動きを全身全霊で味わうだけでいいのだ。

それを実感する毎日です。

ますますワケわからんことを言うようになってるかな。

ま、いっか(о´∀`о)
posted by ゆりか at 00:49| Comment(0) | 日記

2020年04月28日

スメアゴル

映画「ロードオブザリング」シリーズに出てくるスメアゴルという元人間の半妖怪みたいなキャラクターが好きだ。いつも語尾を「〜〜なのよ」で結ぶしゃがれ声の日本語吹き替えの強い癖が癖になる。

スメアゴルは、魔法の指輪に取りつかれており、長い間を一人ぼっちでただただ指輪を愛して生きている。元は善良な人間だったが、指輪の魔力が彼の潜在的な悪を増長させているため、善と悪の2人格が混在した状態で生きている。

2人格を自覚しているので一人称は「わしら」で、良心からの発言をするとすぐ悪がそれを否定する。常に葛藤する愛すべき小悪党。非常に人間らしいとも言える。

私もよく一人でしゃべっているので共感する。武道を通じて、自分の感情や思考を客観視する癖があるので、その意味では2人格が混在しているのだ。

ゆりか@本が読みたいのよ
ゆりかAレッスン時間までもう少しよ
ゆりか@ギリギリまで大丈夫よ
ゆりかAはやく行って支度した方がいいのよ
ゆりか@わかったのよ


ということでいって参ります!

モノマネみたいですがよく似てます
https://youtu.be/Kb7aIimAA30


posted by ゆりか at 13:44| Comment(0) | 日記

巨大な手が

最近ワンコ散歩中に感じているが、巨大な手が上から背中をわしづかみに支えてくれているような感じがする。そこに委ねてぶらさがっているようでもあるし、動きたいときにはなにより後押ししてくれる。

どんなに力を抜いたり、他のことに気持ちが奪われているときでも、がっくりうなだれるような姿勢にはなれない。

立禅で背中の筋肉群がさらに強化されているのもあるが、何をして強化されているかが大きい。一般的な収縮と伸展を繰り返す筋力トレーニングだと、動くのには役立つが支えとは違う働き方をする。動いて培ったものは動きに役立ち、立って培ったものは立つことに役立つ。文章にするとごく当たり前のこと。

自分を支える力を養うのが立禅であり、前進・後退歩であり、操身法である。

立つことが不十分で動きばかりやると、その人の生活の癖が残ったまま成長する。動きには各人によりかなり差異がある。それはそれでもいいが、私は常に過去を塗り替えて生きたいので、癖の修正も含む立つことが重要と考える。

立つことは修正であり、支えの養成であり、支えが強くなるからこそ力が抜ける。筋力だけではなく、骨格のバランスや精神状態をも含む。

立つことがもたらしてくれる意味を、これまでになく味わっている。

あ〜、今もわしづかんでるなあ、でかい手。わしづかまれたまま、レッスンです!
posted by ゆりか at 13:12| Comment(2) | 日記

2020年04月25日

凌駕する瞬間

立禅と歩行練習。んー、やはり気持ちがいい。体の密度が増していくのがわかる。時間をかけて練習し、そこから体勢を変えたときに特にわかる密度。立つ力が残っているので体勢を変えたときにほんの数秒動きづらさがある、あれがたまらない。なんというか、ああいう練習をしている時間的密度が、過去の人生を上回るとそこからが武道の体の始まりなんだな。一瞬だけ、武道の体が普通の体を凌駕している瞬間があの動きにくさなのです。

算数で習う大なり小なりのマークが段々と武道の体の方へ向きつつある。

お、我がもんちゃん(もも)が誘いに来ました。お散歩行って参ります!
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posted by ゆりか at 15:01| Comment(0) | 日記