2020年09月30日

肌感覚

今日はなにものかに感謝したくなるような爽やかな天候ですね。頬に触れる空気が清々しい。

アニメのバキ最終回では、視力を失った者がさらに自ら聴力を閉ざし、触覚を究極に高めるという描写がありました。悪いことをしてる人間なのに、強さへの求道精神はすさまじい。

接近戦ではとくに触覚を磨く必要がある。近すぎると全ては視界に入らないから、触れた感触から情報を得るのです。普段目や頭にばかり頼っていると、触覚割合は小さくなる。稽古では体を通じて様々な体験をし、体感して総合的に感覚を磨く。代表はじめ、強い人(ヤバイ人)の感触はなんとなくわかります。稽古ではそれを味わい尽くして学びますが、非常事態に肌がそう感じたら、逃げるが勝ちです。絶対敵わない人間や状況からは、とにかく逃げる。かわいい自分を守るため、それも護身。

本日の風は身体で気持ちよさがわかる。涼しさと温かさと高くも低くもない湿度。ありがたい。
posted by ゆりか at 13:59| Comment(0) | 日記

2020年09月29日

体が近い

レッスン前待機中にて、愛妻ソニカちゃん(愛車)と共に幸福な時間を過ごしている。

自粛が明けてこの数ヵ月でまた体が大きく変わっている。新たな仕事が始まったり、稽古が再開したり自主練習がより充実し、日一日と変化している。再開して間もなくは、やはり体がまだまだ思うように動かず、部分的な疲労も出たものだ。今、珍しい感覚がある。体が近い、という実感だ。

元々ひょろながい体型をしていて、子供の頃から手足の先端まで行き届かないもどかしさを感じていたが、それが逆に近く感じる。頭や手足や胴体がより密に連携しているから非常に動きやすい。

体はオモロイナ〜、ね〜ソニコ(о´∀`о)ノ※愛妻=愛車の愛称。愛が多いな。

おし、レッスンいって参ります!
posted by ゆりか at 19:27| Comment(0) | 日記

型と対練

崩し技の対練の時、全身にまとまりがあると自然に手足のバランスが整う。形式ではなく、「あるべくしてある」という整合性。手の位置、足の位置を意図して修正しないと技がかからないようだと、まとまりが足りないということだ。

型練習も同様で、まとまりが増すと手足を含む全身にバランスが伴う。型がうまいとはそのことを言う。型がうまいが対練だと崩れる、対練はできるが(体力やテクニックで)型のバランスが悪い、どちらも不十分。

型と対練と組手の全てに共通の質が現れるまで練習をやりこむ。共通の質がその人の可能性の扉だ。

ヒラケ〜〜、ゴマ!
posted by ゆりか at 19:09| Comment(0) | 日記

見てると消える

力むとき、私たちの内面は何かに囚われている。相手、結果、周りの目、抵抗、過去の成功、等々だ。全ては思い込みであり、何ら実体のないものなんだけど、自ら作り上げた罠に囚われるんだな。減らしたいなと思いながら稽古を続けてきた。10年経つと、気づけば囚われが減っている。がんじがらめだった自分をよくよく見てきたからこそ、今の軽さがわかる。

今も全くないわけではないが、過去に比すれば段違い。10年ぶりに連絡をくれた友人が、私の思考の変貌に驚いていたのもわかる。

見つめていれば変わるものだ。抗わず無理にどうこうせず見つめていると、消えるものは消えるし、素敵なものに気づける。

今の自分が史上最も好きだ。多分10年後にもそう言っているはず。それなりの武術家になってることは間違いない。

まだまだ力抜ける。囚われをなくせる。今日もそのための一歩。いつでもはじめの一歩だ。
posted by ゆりか at 13:42| Comment(0) | 日記

2020年09月28日

ゼロに戻る

以前から練習すると体が整う実感はあったが、最近とみに立つことで全てが整うのを感じる。生活の中でできたズレがリセットされ、ゼロに戻る。ズレ自体が減ってきているのもあるし、立つ精度が上がっているせいもあるし、その両者は比例する。

武術以外の生活の動きで、前にプラス何度か傾き、腰にプラス何度か緊張がでて、左胸にプラス何度か溜まる疲労、たとえばこの余分が立つことで全て消えていく。立禅しかり、前進・後退歩しかり、何かの合間にただ立つことに意識を向けるだけでもいい。

この、余分なものがしょっちゅうリセットされる感じがたまらなく気持ちいい。こまめに掃除する家は決定的に汚くならないように、体にも変な癖がつきくくなっている。掃除も前よりこまめになった。体と生活も密接なんだな。元々ゆるい家事しかしてないので、より伸びしろがある。うむ。
posted by ゆりか at 10:19| Comment(0) | 日記