2020年10月31日

立つ意識

本日レッスンにて、いつもより早めに着いて時間まで立つ意識を高めていました。立禅や、そのままほんのすこしだけ動きながら。

レッスン時間になり、ふと参加者の皆さんに目をやると、いつも座っている方々が立禅をしている。私の立つ意識が伝染したのでしょうか。コロナは嫌ですが立つ意識の感染は良いですね。レッスン後、参加者から視力の回復を報告されました。要約すると、体の通りがよくなり、集中力も増し、視界が開けた実感があったと。実際眼科で視力の向上が判明し、医師も驚いていたと。

最近身の回りにいい変化をしている人が増えている。わたしもやるど〜!

ということで今晩稽古は休みですが自主練習に励みます。立つ意識を切らさないよう、格技室があくのを待っています。

フゴ〜
posted by ゆりか at 17:11| Comment(0) | 日記

消えちまう

なかなかどうして、立つことに思いを向け続けるのは難しい。昨日代表と車に乗っていると「今こうして座っていても、立つことへの思いは消えないんだ」と話してくれた。かっけ〜(о´∀`о)

今朝も朝から立つことに意識を向け続けようと思いながらも、・・・消えちまいやす(|||´Д`)え〜ん

レッスンでは消さないぞ。そして今この瞬間も。

おし。
posted by ゆりか at 10:39| Comment(0) | 日記

絶対的自分

先日の代表の滝内蔵体を体験してより理解したのは、脱力の深化形態は、相手の動き如何によらず、絶対的に自身の中に存在する力によって場や人を制すること。

相手の力方向や技の種類により変化対応する技術は当前体得した上で、相手の動きに関わらず触れた力を飲み込んで崩してしまう状態が存在する。

少し前に書いたように、脱力は長じると消極的、受動的なものでなく能動的で絶対的なものだというのもこれにつながる。

重さが通る体が深化し続けると、自身を押し通す力に変質するんです。これは今年得た大きな収穫。

まだまだ相手や状況に応じた変化を磨きながら、立つことに二十四時間向き合うべく、本日も一日を開始します。押し通す絶対的な重さは自然となるのであり、考えて通そうとするものではない。脱力体の形成は不純物(力み)が混じりやすい繊細な過程を踏むので、いつかなるまで修練あるのみ。

ワクワクスッぞ(゜∀゜*)(*゜∀゜)
posted by ゆりか at 04:37| Comment(0) | 日記

2020年10月29日

滝を内蔵

昨晩の稽古にて、代表の深化し続ける体の質を味わわせてもらいました。重さが通る(重力が通る)体には、大きく動かずとも上から下への強大な流れる勢いみたいなものがあり、ガッチリ触れると自分の圧がどんどんその勢いに流されてゆくのがわかる。下へ流されるから、技をかけずとも何らかの崩しをかけられたようになる。

ううむ、なるほど。こりゃ知らん人が見たら催眠術やら意識操作だと思われるわな。達した人にはそういう精神の力も備わるのは否定できない。が、物理的な力が確かに来ている。それも強大な。激しく落下する滝に手を突っ込んだような感じ。そのまま動かれると、すでに落下させられてるのでどの方向にも耐えられない。

こんな境地があるのか。黒帯仲間の体に触れたら、ほんのりそれがありました。あたしにもほんのりあるだろう。これがいつかあのナイアガラの滝内蔵体にまで高まるのだな。

よおおーし!滝の呼吸〜\(^o^)/ぐぉぉぉー!
posted by ゆりか at 13:39| Comment(0) | 日記

2020年10月28日

本当に馴染む

型練習はなんのためにあるのか、長年人に聞けずにわだかまっていた問いに、代表は明確に答えてくれた。

代表の武術が空体道へ昇華していき、型の意義は問うまでもなくより明らかになった。そして型に、武術に本当に体が、心が馴染んできたのを感じている。武術は「練習するもの」ではなく、体に備わるものだと。

かっちょいいこと書きましたが、あくまでも以前の自分と比較しての実感です。「さあ、今から練習開始!・終了!」ではなく常にある。心にも体にも。

そんな心身がたまらなく居心地よい。ああアイラブミーが止まらない。

では、レッスンへ参ります。
posted by ゆりか at 13:59| Comment(0) | 日記