2020年10月03日

脱力の人格

個人的体験として書く。脱力によりどう人格が変わってきたか、このところ思うことがある。端的にいえば、以前は興味関心を持っていたことへのそれが薄れた。

他人の機嫌、やるべきこと、場の雰囲気、過去や未来、己の感情変化、世の中の情勢、人間そのもの、これら全てに興味がなくなった。興味があるうちはこれらに対して「どうにかしよう」と情報を集めたり働きかけたり、でもどうにもならずに疲れていたが、そもそも興味がないから働きかけもしないし、知らないし、すなわち疲れない。だが全てはなるようになっている。

以前にイメージしていた脱力の人格は、もっと繊細でどちらかといえば消極的な姿だった。でも未熟ながら脱力が進んでくると、能動的に脱力であり続ける、ある意味では押し通す強さのようなもの(無意識レベルに)が存在するとわかる。外的要因で右往左往しない絶対性だ。代表を見てたらわかりますわな。

私の場合心身ともに以前がへなちょこすぎて、違いがわかりやすい。脱力は自分自身でいる強さでもある。決して後ろ向きな消極的な、代替手段的ものではないのだと体感している。

よきよき
posted by ゆりか at 13:28| Comment(0) | 日記

時おり覚醒

このところ、時おり体が覚醒する。以前にはなかった動きが不意に出てきて、してから気がつく。自由舞しかり、生活の中の動きしかり、仕事中の動きしかり。

今までの自分のイメージにない動きをするため、少し驚きもするが、楽しい。

練習の積み重ねにより、時に予想も自覚もしないものを獲得していたりする。その断片なんだろうな。

本日も楽しくわたしを味わっています。
posted by ゆりか at 10:48| Comment(0) | 日記