2020年12月07日

反省

昨日の太極拳レッスンにて、毎日のことながら脱力の心身の深い静寂、居心地のよさを味わった。ふと思えば、組手のときも本当はこうでないといけないのだ。最近とみに組手中はうれしさ、たのしさ、高揚、そんな心身になっていたのではないかと気づく。そら代表から指摘されるわけです。動きに現れる内面が、代表には見えるのだから。過去にも何度も諌められた。

組手は相手との動きによる対話を通じて高めあうもの。一方的に楽しみ、勝ち負けのゲーム性を味わうものではない。

はああ〜ん、思いっきりやってたそれ(;´д`)やだあ

こうして道から逸れては連れ戻され、逸れては連れ戻されの繰り返し。ふがいないっす(--;)

ケンガンアシュラのなかで、亡き師匠が「お前の武術を信じろ。私から学んだ武術はもうお前自身のもの。信じて進め」と幻の姿で言う。代表にはあと50年くらいは幻にならずに導いてほしいが、脇道に逸れてる場合じゃねーぞーあたし!と反省します。

ではレッスンです!
posted by ゆりか at 10:20| Comment(0) | 日記

2020年12月06日

成果と課題

昨晩の稽古では、組手におけるより繊細な感覚を磨くよう指導を受けました。組手に関する未熟さから(あと多分性格的問題からも(--;))、無防備に突っ込みすぎる。そうするとどんな目に遭うのか、代表から愛の鞭をしこたま頂戴しました。

なるほどたしかに「組手は体験だあ!」と、無邪気に突っ込むのを良しとしていた自覚がある。しばらく繊細な組手感覚を念頭にして組手稽古に臨みます。

自主練習では重さが増してきているようで、体のまとまりも向上しているとのこと。おし。成果と課題が明確なのはありがたいことです。

本日これから特別レッスンです。皆さんとともに未知なる自分自身の可能性と戯れてきます\(^o^)/

追記・代表とともにNetflixで「ケンガンアシュラ」のアニメを観ている。製作しているのが格闘技をかなりやりこんだ方々らしく、戦いについて、各種武道・格闘技について、興味深く描かれていて面白い。お勧めです!
posted by ゆりか at 14:34| Comment(0) | 日記

2020年12月05日

野口三千三さん

KIMG0134.JPG久々に読み返したら、目頭と胸がグッと熱くなりました。以前読んだときより、実感として共感する。また、あの戦争の世代・時代にこんなにも脱力を極めた思想と身体観を持ち得た野口三千三さんの卓越した洞察力には驚嘆しかない。

武術と体操なのでほんのすこし違って感じるところもあるが、私が修練を通じて深化したらまた共通だと思うのかもしれない。

脱力の名著です。

自主練習、いくどー!
posted by ゆりか at 17:28| Comment(0) | 日記

全不要

太極拳の要訣でよく「要意不要力」と言う。筋力トレーニング以外の武術の体の高め方を求めていた学び始めのころはこの教えが大層嬉しかった。が、型だけをしているとこれでもいいが、代表について学び始め、対人稽古を深めるなかで意すら邪魔になると知った。※意を自ら意識する行為と解釈するなら、です。別の解釈もあると思うので個人的見解としてお読みください。

意識すると、自然な動きを遠ざける。意識するほど、武術レベルの高い相手には対処できない。鬼滅の刃にもこういう描写がありましたね。

空体道は、何も要らないと教えてくれる。ただ重さがあれば、人は動けるし、バランスがとれるし、向上できる。

こういうとこも、好き(人´ з`*)♪
posted by ゆりか at 12:35| Comment(2) | 日記

我意識を消す回転

今週は回転をテーマに自主練習に励んでいますが、回転のいいところは「勝手に動く感じ」を味わえることにもある。回転を繰り返すほど、動き始めも途中も終わりも曖昧になってゆき、私が回転をしているというより、回転を身を委ねていく感じが強くなる。

代表がよく書いてくれるが、うまく崩しがかかるとき、重さが伝わるとき、「私が」という我意識は表にいない。ひとりでに、無意識に、自然に動けたときに本当の能力が発揮される点、回転に身を委ねるのはその感覚を味わうのにもいい。

回転自主練習をやりまくったあとの組手稽古では、打撃も投げもより作為のないいい動きがちらほら出ていました。

我意識を消す回転練習。お勧めです。空法なら左右旋回・四方転換・遠心求心ですね。時間がなければ少しでもいいですが、一時間以上やるとかなり変わります。
posted by ゆりか at 12:20| Comment(0) | 日記