2020年12月15日

脱力の心身で

代表に出会うまで曖昧模糊としていた理想とする強さを、まさに体現する姿を目の当たりにした。(体現する戦闘技術・質的向上の理・型も動きもカッコいいという3要件)今となれば強さにも様々な種類や定義があることもわかるが、当時は強さ=代表だった。しつこくまとわりついては教えを乞うていた当時からよく戒められた。

もしも戦わなければならない状況になったとして、それが素人にしろ玄人にしろ自分より弱いにしろ強いにしろ、絶対に身を守れる保証はない。どんなに修練していても、戦いの場で偶然起きる状況に左右されることもある。俺は自分の武術のままでいられたなら、結果はどうでもいい。負けそうだから、緊急事態だからと日頃の稽古と違う動きをすることなく自分自身でいることを何より大切に思う。

と。かっけ〜(о´∀`о)と、よく意味もわからず鵜呑みにしていましたが、ほんのりわかる気がしています。ただし、今の私だといざというときまだ本当に脱力でいられるか自信がないことがよく理解できます。稽古を重ねているので、技術や動き自体もそれなりには向上している。完全なる脱力の質ではなくそこに頼ってしまう可能性を、今は感じます。

本当に脱力の心身でいることは自分自身でいること。まだまだ結果に固執し、着飾り、取り繕う自覚があります。

脱力は本当に限りない気付きを与えてくれます。
posted by ゆりか at 19:30| Comment(0) | 日記

時空が平らか

この数ヵ月で度々体験していることがある。ふと時間も空間もないまぜに平らかになる感じだ。自主練習前、車中、犬の散歩中、寝床で目覚めた瞬間、五歳前後の自分の内面と同化する。五歳前後は最も自分の存在に気がついた頃で、すべてに対してありのままでいられた。と、記憶しているだけかもしれないがこの記憶は子供の頃から今まで変わらない鮮明さを持つ。

五歳の内面と今の内面が分かちがたく混じりあっていて、居心地がいい。あれから長い時間が経ち、様々な意味で遠くへ来ているはずなのに。

単独行動を好み、己の興味にのみ邁進し、叱られたことをあまり理解できず、キャンディキャンディとハクション大魔王とテレサ・テンをこよなく愛する5歳児だった。
posted by ゆりか at 13:48| Comment(0) | 日記

言い聞かせない

先ほどの脳の拒否反応について、ではどう克服するのか。昔は「できるのだと言い聞かせる」ことが大切だと思っていた。が、代表もよく

なんとなくできると思ったらできた

と言うように、稽古や自主練習を重ねるうちに自然とそうなるまで余計な働きかけはしないこと。してもいいが無駄に精神を減らすだけであまり意味はないと経験上思う。

体にはあらゆる未知なる可能性がすでに存在している気はするが、発動にはタイミングがある気もする。そのタイミングを引き出すのが日々培うもの。ただそれだけなのかなと。

さー、本日も己の可能性に働きかけていますよー!
posted by ゆりか at 13:26| Comment(0) | 日記

脳の拒否反応

土曜の稽古では、いくつか特に難しい崩しをやらせてもらいました。技らしい技というか、足をかけたり小手を返すとか、ある程度物理法則や身体構造的に理解しやすいものならまだしも、ただ肩に触れて重さで崩すなどというのは、まず脳味噌が否定する。

できるわけがない

と。代表にされるとどんなに踏ん張ってもたしかに重さで崩れる。が、原理を考えて理解不能と結論してしまう。脳の拒否反応ですな。そういう段階だと、その時点でその崩しは絶対に実現できない。稽古を重ねて様々なものが体に染みていき、、いつか自然にできる気がしてきたときにできる。代表もそう話してくれたし、これまで体得してきたものもみなそうだった。

これだからおもしろい。
posted by ゆりか at 12:53| Comment(0) | 日記