2021年08月18日

理解した理

流れと落ちるの違いを代表に質問したきっかけは、空体道の型、空法の循環する歩法についてだった。前へ、後ろへの方向性や流れ、という表現を連発していた私に「空法で重視するべきは方向性や流れではない。落ちることだ。」 と教えてくれた。

ある方向性、規則性を持った循環運動ではなく、落ち続けることに意味がある。

これを最近実感するのは代表との崩しあい。以前よりは体を密着させずに重さを伝えられるとはいえ、うんともすんとも動かない代表に重さを伝え続けると、前へ、横へ、斜めへとやや体が移動し、そのぶん崩れる。代表が軽く重さを加えれば、すでに崩れた私の体はひとたまりもない。※が、この崩れ方がまえより致命的でないのが成長の証。時おり建て直せる。代表公認。

前へ推そうが横へ崩そうが、重さが真下へ落ち続ければ私は磐石。定歩でも、足が自在に動いても真下へ落ち続けられれば、投げられにくいわ、押し負けしにくいわで、打撃や投げの防御能力も攻撃能力も下がることなく対応ができる。

でも重さが落ちた体が仕上がらないと、まっすぐに立ったままでは普通力が出しにくい。これを実現するには長く根気強い立つ、歩く練習が要るのです。

こういう非常に高い理を理解できるようになってきた。そして頭の理解が段々体の理解になってきた。マンモスうれぴー。

さ、レッスン前です。大雨でもできる、野外練習場所を探します。
posted by ゆりか at 13:30| Comment(0) | 日記

流れると落ちる

太極拳では(特に楊式太極拳)動きの流れ、技と技とのつなぎが分断しない不断性を重視する。円転太極拳や空体道の歩行法では、流れより落ちることを優先するため、より静止時間をとることで落ちる待ち時間を確保する。

形は似ていても、目的が違えば方法が変わる。この落ちる時間=静止時間が、力みが抜けてくるほど至福と化す。あのときの私の脳内には至福ホルモンが大量分泌していると思う。この世の極楽は脳内にあり。

流れには始まりと終わりがあり、それが連結するほど螺旋や円になる。太極拳と八卦掌の共通性のように。円転太極拳や空体道は落ちる、落ち続けるので始まりと終わりではなく、落ち続けることが体内を変化させ、やがては張りや膨張(円転)へと進む。

このへんのところ、代表に何度も質問しながらやり続けるうち、体で納得。目から鱗の驚愕だった。似て非なる、良いも悪いもない「違い」だが、なんかおもしろい。


posted by ゆりか at 13:15| Comment(0) | 日記