2021年11月30日

スルー

今はまっすぐや姿勢に関わらず、いつでも力を抜くようにしている。仕事中でも、犬の散歩中でも、昼寝中でも、その状態のまま力を抜く。ある特定の形をとらなければ重さを発揮できないようでは武術として不十分。

それから意識としては、沸き起こるものを全てスルーしている。基本的に快楽物質が出やすい脳ミソ仕様だが、ふとネガティブな思いや不安もよぎる。それはそれとして、どうともしようとせずスルーする。受容とは耳を傾けて判断や修正することより、気づいてなおスルーすることだと思うようになったからだ。

ということでいつでも力を抜きながら、いつでも自分をスルーしている。特別なことをしよ(武術として伸びよう)うと気負うことなく、ただ淡々とこれを繰り返す。脱力の結果は時間をかけて出てくる。

本日も病院食レシピを作成。(※中年・初老夫婦の体作りに、聖路加病院のレシピ本で食事を作っている。一時期サボったが、また心入れ換えた)レシピ通りに作っても味が変わるなぁ。仕方なし。それもスルーしよう。

posted by ゆりか at 14:34| Comment(0) | 日記

2021年11月28日

以上

昨晩の自主練習&稽古の充実ぶりが今朝の体に残っております。ほんのり全身筋肉痛。

脱力一択を心に決めたからには、成果や実感は求めないよう努めているのであまり書けません。実感というのは私の場合、自分の練習が正しいのだという自己正当化の儀式だった面もある。正当化するまでもなく、ただただ力を抜けばいいのです。脱力を正当化が上回ると、感覚に囚われて脱線する。

昨日も力を抜きました。以上!

小2の日記張か・・・今後ブログや指導がこれだけになりそうだ。

はい皆様、今日も力を抜きましょう。以上!

シンプル〜笑
posted by ゆりか at 05:30| Comment(0) | 日記

2021年11月27日

脱力脱力

毎年冬になると「ああ本番がきた」と思う。冬生まれのせいなのか、昔から夏は余暇で冬が本番だと感じる。本番の冬に何をするか。脱力あるのみです。

12月はお仕事がかなり忙しい。忙しいからこそ脱力と、自主練習や稽古が大切になる。精神まで忙殺されることなく、いつでも脱力の意識付けを忘れないよう。

昨日太極拳レッスンでも脱力について反省していると伝えた。それらしい言葉でかっこよくご指導することもできるが、なんだか嘘をついているみたいでいやだと。脱力はシンプルに脱力そのもので、だから多くは語れないけど、見て、感じてね、と。

皆様は不器用な先生であるわたしに優しく笑ってくれました。

脱力で威力が増す
技が効く
中心や軸が定まる
動中求静の実感
気沈丹田の感覚
落ちる感じ
重さの味わい
張りやまとまり
あれやこれや脱力がもたらす全てのものはスルーして、脱力に専念する。じゃないと成長が止まってしまう。

今日も専心です!
posted by ゆりか at 10:40| Comment(0) | 日記

2021年11月26日

ある情報

面白い話を聞いた。1996年、ある神経解剖科学者が自ら体験したという、脳卒中で左脳機能停止した際の感覚。脳内のおしゃべりが消え、外部と自己の区別がなくなり、孤独感と対極の幸福感に包まれたという。瞑想などで得られるとされるものに似ているらしい。(数年後回復したそうです)

普通は左脳と右脳がバランスを取り合い機能しているが、右脳に偏るとこうなるのだと結論していた。

わたしの若い頃は常に脳内のおしゃべりが不安や焦燥をもたらしていて、幸福感とは無縁の性格だった。代表に学んで以来練習中の幸福感が増し、それが生活にも浸透するようになり、年々無駄に幸福感にあふれた性格が加速している。立禅を多くしているので自然に瞑想効果が高まり、先の右脳主体になりつつあるのかもしれない。細かい規則に従うのが苦手な理由にもなりそうだ。

脳内は活性している方がいいと思っていたが、左脳が活性していると不幸を感じやすいのだとしたら、あながち良いばかりではないのかも。

同じ情報源から、なんらかの疾患や障害のある人が、いくつかの飛び抜けた能力を発揮するサヴァン症候群の発生割合も聞いた。自閉症の10人に一人にサヴァンが出るらしい。思ったより確率が高くて驚いた。

おもろ
posted by ゆりか at 09:47| Comment(0) | 日記

走りやすい

ふと走るとき、すごく走りやすさを感じている。二週間前かな、脱力猛省以来、更に力を抜くよう心がけてからだ。子供の頃、短距離走のゼロ(停止)から100(瞬発力による全力走行開始)の感じが大嫌いだった。軽く流してから途中全力疾走を加えるならまだしも、ゼロから100は不自然だと決めつけていた。

が、今感じている走りやすさの理由は、脱力によりゼロ(停止)がないからかもしれない。更に言えば100まで上げなくとも体が動いてくれるから、停止も急発進もなく30が50になる位の感覚なのだ。

組手で変化しやすい、動き続けやすいのも同じ理由だろう。

うむ。面白い。負けず嫌いで偏屈な小学校1年生の私に教えてやりたい。徒競走のみならず、日頃からもっと力を抜くべしと。小1からあらゆる「そうするようになっていること」への反発が始まったものだ。今はだいぶん丸くなった。

脱力脱力。
posted by ゆりか at 09:38| Comment(0) | 日記