2022年06月14日

ビバ

武術の練習時間と、それ以外の時間との質的区別が曖昧になっている。格技室(ザ・練習場所)と、格技室以外の場所にいるのと体感は変わらなくなった。

立って止まっているのと、動いているのが同じ感じがしてきた。

大きく動くのと、小さく動くのは同じ感じになってきた。

打撃と投げは同じ動き、同じ出力源で実現可能だとわかってきた。

力を抜くには何かをするのではなく、している何かをやめることだと以前より実感してきた。

走るのと、体振りが同じになってきた。

頭の中に存在していた人生に対する不安要素を覆い尽くしてしまうお花畑感が増してきた。昨日久々に母と話していて、いつものように定期的自動お花畑装置が発動した。母から「口を閉めなさい」と諭され「あ〜、脳みそがのんびりしてた」と返すと
「そんな顔だった」と。

夫様からも「なんか面白い動画みてるのか?」と聞かれ、何にも見てなかったので理由を聞くと無意識に笑っていたらしい。

変態味がより表にでてきたようです。

ビバ!変態!

レッスン時間です。
posted by ゆりか at 19:31| Comment(0) | 日記

少ない必ず

世の中には必ずと言えるものは少ないが、質量のある物が落下することは必ずと言っていいだろう。守る理由のわからないルールに従うのは苦手だが、必ずそうなるルールに従うのはすごく楽。重さは落ちる、落ちるほど体は安定し、本来の能力を発揮する。本来の能力とは、力んだ体で考える可能性をはるかに上回っていて、私も体験してはいたものの年々その実感を自らの体で深めている。まだまだわかっていないと思っている。自分がそうならない限り完全には理解できないものだろうし、理解したときは同時に体がそうなっているはず。理解と体得度合いは比例する。

今朝の太極拳レッスンもそんなことを話し、動き、終えたら参加者が話しかけてきて、未知の世界を体験しました、と言われた。万人には受けないが時折少数に刺さるんだよな、私の指導(笑)

不安を感じ始めたらキリがない世界だが、絶対ルールに従うと楽になる。それが重力ですな。なんか当たり前のことだが私のなかで新鮮感じるのは体がまた変わりつつある兆しだろう。
posted by ゆりか at 12:01| Comment(0) | 日記

落ちた瞬間

先のブログで書いたが誰かに持ち挙げてもらった腕が、持っている手を離された瞬間に落ちるとき、落ちた瞬間にはかなり脱力している。それを練習では腕振り、足振り、体振りでやっているし、歩いている、走っているときにも同じ脱力を感じる。落下し続ける感じ、といおうか。振り落とすとか振る、という行為が一番それをわかりやすいから、基本として最初にやるのですな。

腕を持たれること自体に緊張する、振ること自体に、ジャンプすること自体が緊張する人もたまにいるから、そういう人には分かりにくいだろうが、物は落下する、これは真実。落下しないなら、必ずそれを止める力が働いている。心にも、体にも。それを毎日毎日練習で取り外して解放していくのが歩みですな。近道も裏技もなし。ただただ根気よくやるのみ。
posted by ゆりか at 09:08| Comment(0) | 日記

落下する

昔、講座なんかでやっていたのを思い出す。挙げた腕は 脱力すると落下する。その落下した状態が、腕を挙げていても動いていても全身にあるのが落ちた状態。当たり前すぎて忘れていた。以前(5、6年前位かな)はそれを説明し、腕にははっきりそれを感じていたものの、今のように全身には感じていなかった。

今は走ったり立ったり歩いたり、色々なときに全身が落ちているのを感じる。どれも一人の時だからわかりやすい。対人稽古ではその状態のままでいられないのもわかる。

が、全身の重さは大分出てきた。今日も重さを味わい、重さで動き、重さに支えてもらおう。

posted by ゆりか at 08:53| Comment(0) | 日記