2022年07月11日

洗濯機逝く

洗濯機が逝きました。最近調子を崩していたとはいえ、あまりに突然の別れ。毎日汗だく仕事の我が家には洗濯物が毎日山になります。愛犬の散歩はカットして(ごめん)、仕事前に急遽コインランドリーへ参りました。

あたくし実はこういうイレギュラーな事態がわりと好きで、今朝も汗だくになりながら次の洗濯機を迎え入れるべく周辺の掃除をしながら

なにかまた新しい局面が始まるのだな・・

と軽い高揚感に浸っておりました。ついでに冷蔵庫も替えることを検討してその周辺も軽く掃除。非日常ないい朝です。
posted by ゆりか at 08:59| Comment(0) | 日記

2022年07月10日

突きの威力

代表が突きについて書いてくれたが、突きに苦労し続けた個人的体験から書きたい。一般的に女性が屈強な男性に効かせるほどの突きを出すのはかなり困難。近い体格であれ男性と女性の一般的な筋力差は大きいのだ。

子どもの頃から武道をやってきたが、自分の突きの威力が今ほど高まったことはない。(今後練習を続ける限り伸びる)

威力が出なかった原因は全身の連動性の不足、当てる感覚の未熟さ、当てた際の抵抗に耐えうる立つ力の不足、力みによる貫通力不足、総じて全身の均一性の不足、と言える。これらが改善したらから今、過去にない威力の突きが出せる。空体道ではこれらを脱力により改善する。

勿論威力があれど攻防のなかでいかに当てるかは別の技術で、総合的な戦闘技術が必須なのは言うまでもない。上記は単純に威力について。

重さの突き、見た目と反比例する突きは摩訶不思議な精神的威力ではなく、物理的肉体的に発せれる。が、高じるほど一般常識とかけ離れる威力になるため摩訶不思議に見えるのもわかる。

まだまだ常識の範囲内の威力の私だが、やるほどに高まるのは必然。

今日も自主練習と稽古に励みます。
posted by ゆりか at 17:29| Comment(0) | 日記

2022年07月09日

護身術も立つことも

武術を学んで護身術を身に付けていく過程で、身を護るために必要な生活の仕方や心がけを考えられるようになる。単純に、すぐ逃げられる、動ける服装でいられることとか、歩く道や出掛ける時間を選ぶとか、イヤホンつけたまま歩かないとか何でもいい。今の自分の生活のなかで改善できるところを考えるようになる。

うちの武術の本質は立つことにあるが、護身術も立つことも、人がどうこうではなく自分がどうあるかを改善する取り組み。悪い人などいない、話せばわかる、という他人本位な思想では身に付かないし、立つことは自分の重さを支えること。他人が介入する余地なく脱力し、真下に落ちる重さで立つ。

力を抜いて立つことも護身術も、いかに生活のなかに入れ込んでいくかが大事。年を重ねるほど若い頃より「人から良く思われたい」という気持ちが薄れたせいで、生活のなかに入れ込んでいくのは容易だ。

必然的に己のありかたに
ナルシシズムが沸いてくる。ナルシシズムは生きる力になる。ああ、ときめきトゥナイト。
posted by ゆりか at 13:57| Comment(0) | 日記

2022年07月07日

武術

代表含めて、ある数名の武術家が「生きるために武術をやっている」という主旨のことを言っている。これは年を重ねるほど実感できる。人間にとって自分の体重を支え、動かし、立ち歩くのは大基本だが、年を重ねるほどなにもしなければこれらが困難になる。立ち方や歩き方に本質を見いだし、その追求である特殊な力を発揮させるまで体現している方々は当然ながら高齢になってなおその力を伸ばし深め続けている。

それに加え、内面に代用のない絶対的な自分自身である力があれば、大抵のことはなんとかなる。

戦うにしろ戦わないにしろ、その確かな技術や質を備えた上で肉体と内面の不具合と調和できる力を武術がもたらしてくれるのは、未熟な私にもすでに実感できる。

こうした考え方が一般的でないのは経験により十分に承知しているし、啓蒙しようとも思わない。ただただ歩み続けようと思う。

2度目の休憩中。このあとは再びみたび立禅と歩行法に励む。

内容とは無関係だが最近数回にわたり桃のイラストが尻に見えた。今日も桃の水のパッケージが尻に。水の持ち主に伝えると飲みにくいと嫌がられた。尻が素晴らしいジェニファー・ロペスを見すぎたせいか・・・ああ桃尻
posted by ゆりか at 18:30| Comment(2) | 日記

立つ落ちる

立禅をしているときの生きている静かな実感が好きだ。段々重さが落ちてきて、体がより生きてくる。

姿勢の変形癖が矯正するまで数年かかったが、その間は自覚と意識をある程度続けた。今は体への意識をあまり持たないよう、落ちるのを待ち、味わい、続けるようにしている。

ああ、生きている静かな実感がたまらなく好きだ。生きるのは素晴らしい。立つことがこんな内面をもたらしてくれる。私にはタバコや酒や薬物なぞなくとも立つことで十分に至福がもたらされる。立禅には依存性があります。

引き続き自主練習します。
posted by ゆりか at 17:48| Comment(0) | 日記