2022年07月07日

武術

代表含めて、ある数名の武術家が「生きるために武術をやっている」という主旨のことを言っている。これは年を重ねるほど実感できる。人間にとって自分の体重を支え、動かし、立ち歩くのは大基本だが、年を重ねるほどなにもしなければこれらが困難になる。立ち方や歩き方に本質を見いだし、その追求である特殊な力を発揮させるまで体現している方々は当然ながら高齢になってなおその力を伸ばし深め続けている。

それに加え、内面に代用のない絶対的な自分自身である力があれば、大抵のことはなんとかなる。

戦うにしろ戦わないにしろ、その確かな技術や質を備えた上で肉体と内面の不具合と調和できる力を武術がもたらしてくれるのは、未熟な私にもすでに実感できる。

こうした考え方が一般的でないのは経験により十分に承知しているし、啓蒙しようとも思わない。ただただ歩み続けようと思う。

2度目の休憩中。このあとは再びみたび立禅と歩行法に励む。

内容とは無関係だが最近数回にわたり桃のイラストが尻に見えた。今日も桃の水のパッケージが尻に。水の持ち主に伝えると飲みにくいと嫌がられた。尻が素晴らしいジェニファー・ロペスを見すぎたせいか・・・ああ桃尻
posted by ゆりか at 18:30| Comment(2) | 日記

立つ落ちる

立禅をしているときの生きている静かな実感が好きだ。段々重さが落ちてきて、体がより生きてくる。

姿勢の変形癖が矯正するまで数年かかったが、その間は自覚と意識をある程度続けた。今は体への意識をあまり持たないよう、落ちるのを待ち、味わい、続けるようにしている。

ああ、生きている静かな実感がたまらなく好きだ。生きるのは素晴らしい。立つことがこんな内面をもたらしてくれる。私にはタバコや酒や薬物なぞなくとも立つことで十分に至福がもたらされる。立禅には依存性があります。

引き続き自主練習します。
posted by ゆりか at 17:48| Comment(0) | 日記