今朝の太極拳レッスンでも、まとまりを実感。みなさんに、体の成長過程について話をし、バラバラから連動へ、連動からまとまりへ、となんとなく思っておいてねと伝えました。まとまりの前の連動だけでも十分健康には役立ちます。私はまとまりへ一歩踏み出したので動きがこれまでより小さく見えるかもしれないけれどそういう理由よ、と。
昨日行列のラーメン屋に並んだ際も、立禅で待ちました。入店してからラーメン到着までも本を読みつつなんとなく立禅の気持ちが残っており、心地よく、整った心身でラーメンをいただくことができました。
まとまりの片鱗を感じながら反省すると、やはり腕を使いすぎてるんだな。仕事中の動きも修正するつもりです。
2024年05月31日
まとまりながらラーメン屋
posted by ゆりか at 12:18| Comment(0)
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2024年05月29日
変形を抑える
体のまとまりがほんの少しですがでてきていて、以前よりあらゆる動きに変形が減っていると思われる。変化しても、変形が以前より大きく出ないから、重さもある程度伝わる状態になっているのだな。
体は変化するのが自然だが、ここでいう変形とはこの良い意味の変化ではなく、日常生活でついた姿勢の癖という意味の変形。
私の身体はもともと関節可動域が広くてグニャグニャしやすい。それがまとまってくる過程で、いい意味で動きが制限される感じがした。この範囲で動けばいいのだな、という制限。それを超えて動くと連動が絶たれ、ゆくゆくまとまるはずの体がまとまらなくなる。
昔の時代劇の侍の、固い、形式張った動きのスタイル、というのも、ある意味では体のまとまりをイメージできる。
型や立禅や歩行法の意義も、上記の理由から以前と少し違って感じている。代表の書いてくれていた強制矯正、みたいな。あれが時間をかけて体に起こっているんだなと。
うむ。なんかいいです。
体は変化するのが自然だが、ここでいう変形とはこの良い意味の変化ではなく、日常生活でついた姿勢の癖という意味の変形。
私の身体はもともと関節可動域が広くてグニャグニャしやすい。それがまとまってくる過程で、いい意味で動きが制限される感じがした。この範囲で動けばいいのだな、という制限。それを超えて動くと連動が絶たれ、ゆくゆくまとまるはずの体がまとまらなくなる。
昔の時代劇の侍の、固い、形式張った動きのスタイル、というのも、ある意味では体のまとまりをイメージできる。
型や立禅や歩行法の意義も、上記の理由から以前と少し違って感じている。代表の書いてくれていた強制矯正、みたいな。あれが時間をかけて体に起こっているんだなと。
うむ。なんかいいです。
posted by ゆりか at 12:41| Comment(0)
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2024年05月24日
人見知りの腕
昨晩の稽古も充実でした。代表に立禅を確認してもらった所、腕と全身が合っていないと。詳しく質問すると、稽古のはじめの方で、急に触れられたから腕がそれに過剰反応したかららしい。二度目に触れると合っていたと。
どんなに稽古を重ねていい質を高めていても、急な事態に過剰反応する、というのは起こる。心の防衛反応、力みですね。よく知っている代表に対してすらそれが起こる。見知らぬ人からの攻撃だったらなおさら。
稽古で培ったものは、緊急事態に多少レベルが落ちることも加味した上で、どこまでも高めていく。多少落ちても人類相手には問題にならないくらいの質を高める。
ちなみに代表には
「いきなり触れられて、人見知りしたんですね、あたしの腕」
と伝えると
「そうだな、コミュ障の腕だな」
と。コミュ障。代表の発言に前日見た鬼滅の刃、柱稽古に参加しない冨岡義勇の過去編とのつながりを悟った優秀な弟子でございます。
どんなに稽古を重ねていい質を高めていても、急な事態に過剰反応する、というのは起こる。心の防衛反応、力みですね。よく知っている代表に対してすらそれが起こる。見知らぬ人からの攻撃だったらなおさら。
稽古で培ったものは、緊急事態に多少レベルが落ちることも加味した上で、どこまでも高めていく。多少落ちても人類相手には問題にならないくらいの質を高める。
ちなみに代表には
「いきなり触れられて、人見知りしたんですね、あたしの腕」
と伝えると
「そうだな、コミュ障の腕だな」
と。コミュ障。代表の発言に前日見た鬼滅の刃、柱稽古に参加しない冨岡義勇の過去編とのつながりを悟った優秀な弟子でございます。
posted by ゆりか at 09:31| Comment(0)
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2024年05月22日
統一する体
またとある凄まじい武術家の映像を拝見した。代表が居間で流していたのです。先日書いたのと別の武術家ですね。
完全なる統一した体というものを、耳では聞いていたけど体感がなかったから、十数年前から何度見てもわからずにいた。ようやく今、理屈はわからないがその凄まじさはわかる。あの統一力、密度、硬質。
体が統一するという段階を、「気」でそうなるというならあの武術家に言われれば絵空事ではないと納得する。摩訶不思議な難解な言葉で逃げるのは潔しとしないが、あの方ならそうなのか、と納得せざるを得ない。戦闘能力、技術、質、人間力、思考の深さ、あらゆる意味で桁外れの方なんだと思う。
体が統一するには、理屈よりもやっぱりやり込むしかないのだと思う。基本も型も対人も、理論も叩き込んで私は仕事でもそこを追求すべく取り組んでいる。
空体道をこのまま深められれば、あの境地も夢ではないと思える。女の私でもだ。
ロマンも鼻の穴も膨らみます!仕事です!
完全なる統一した体というものを、耳では聞いていたけど体感がなかったから、十数年前から何度見てもわからずにいた。ようやく今、理屈はわからないがその凄まじさはわかる。あの統一力、密度、硬質。
体が統一するという段階を、「気」でそうなるというならあの武術家に言われれば絵空事ではないと納得する。摩訶不思議な難解な言葉で逃げるのは潔しとしないが、あの方ならそうなのか、と納得せざるを得ない。戦闘能力、技術、質、人間力、思考の深さ、あらゆる意味で桁外れの方なんだと思う。
体が統一するには、理屈よりもやっぱりやり込むしかないのだと思う。基本も型も対人も、理論も叩き込んで私は仕事でもそこを追求すべく取り組んでいる。
空体道をこのまま深められれば、あの境地も夢ではないと思える。女の私でもだ。
ロマンも鼻の穴も膨らみます!仕事です!
posted by ゆりか at 12:42| Comment(0)
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2024年05月21日
芭蕉扇の手
掌や拳が等身大に見える、というのを久々に代表以外に感じました。とあるうちの武術にゆかりのある大武術家の映像。代表と質は違いますが、威力はわかる。すっと手を動かしただけで、牛魔王の芭蕉扇のような巨大な先端が動く。扇のように風圧で飛ぶだけならまだしも、威力としては全力体当たりと同じ力が手の一点に集約している感じ。
巨大に見えるときと、大きくはないんだけど高密度でカチカチの石みたいに見えるときとあります。ドラム叩いている人でスティックの先がめちゃくちゃ重く見える人もいて、それも武器術としてものすごい威力を発しているはずです。代表のは芭蕉扇サイズプラス石の硬質。もはや建造物ですね。
ずっと代表を見てきているから、目は養われているはず。いろんな威力の出し方があるけど、足先、拳先、掌にそういう特殊性がある人は危険です。
あの掌打が顔面に入ったら、どんなに流しても失神するわな。
巨大に見えるときと、大きくはないんだけど高密度でカチカチの石みたいに見えるときとあります。ドラム叩いている人でスティックの先がめちゃくちゃ重く見える人もいて、それも武器術としてものすごい威力を発しているはずです。代表のは芭蕉扇サイズプラス石の硬質。もはや建造物ですね。
ずっと代表を見てきているから、目は養われているはず。いろんな威力の出し方があるけど、足先、拳先、掌にそういう特殊性がある人は危険です。
あの掌打が顔面に入ったら、どんなに流しても失神するわな。
posted by ゆりか at 10:43| Comment(0)
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