昔から山への憧れがある。登山したいとか、山小屋ログハウスに住みたいとか、アウトドアしたいとかではなく、山の一部になりたい。一度も共感されたことはないが時折人様にも話している。
空体道を代表が創始してくれて、私が武道に求めていたあらゆるものを実現できる方法がある。体現し続ける代表がいて、日々歩み続ける。時間はかかれど目指す境地も非現実ではなくなりつつある。
親や親族や友人知人や武術仲間の会員さん、あらゆるお世話になった方々へ私なりの恩義を尽くすことができたなら、山に着の身着のままで入り、生活し、空体道の修業を続けて、いずれ山の一部になりたいという夢がいつまでも消えないものだな。
そのへんに生えているもので栄養を頂き、湧き水で潤し、足りないものは足りないままに。生き延びられるかどうかは山次第。北海道の山の冬を超えられたらそれだけでもう妖怪の域だな。武道家としての生存本能がそれを許さない可能性もあるな。生き延びる方法を何としてでも見つけ出してしまいそうだ。
ま、社会人としては多方面に迷惑をかけることになるから実現は難しいのだろうが、雪が溶けたら山の頂の神社に行ってみよう。夢を持つのは自由だ。
素敵だなぁ、人生って。
2025年03月09日
山で
posted by ゆりか at 23:46| Comment(0)
| 日記
狂わされるのか
代表に胸を借りた組手において「狂わされる」というのがよくわかりました。距離感、タイミング、威力、立ち方、あらゆるものがほんの少しずつ狂わされている。原因は代表の重さも大きいしその他、読み、というかこちらの攻撃意図を無意識に察知して微妙に動いたりすることで、わたしの攻撃が微妙にタイミングがズレたり、効果が制限されていたり、止められてりするのですな。
なんか変だなと思って質問すると実際それを再現してくれたのでよくわかりました。私がおかしいのか?と思うほど自然に精妙に狂わされているので、これまであまり理解していなかったな。
導く時に少し試みてみようと思う。
んー、でも戦いの意識の使い方ってものすごく底知れないものだな。肉体的な戦い、技術をやりこんでこそだけど、代表しかり、いにしえの達人たちが日常性格から恐ろしく慎重だったとか、超常的なほどいろんなことを察知していたというのは当然に思えるほど。
戦いで磨き上げられたセンサーの感度は一般人のそれとは別次元のものなのだ。今の自分には全然わからない世界があるのだということを心底理解することがそこへいずれ到達する一つの扉だと思う。
なんか変だなと思って質問すると実際それを再現してくれたのでよくわかりました。私がおかしいのか?と思うほど自然に精妙に狂わされているので、これまであまり理解していなかったな。
導く時に少し試みてみようと思う。
んー、でも戦いの意識の使い方ってものすごく底知れないものだな。肉体的な戦い、技術をやりこんでこそだけど、代表しかり、いにしえの達人たちが日常性格から恐ろしく慎重だったとか、超常的なほどいろんなことを察知していたというのは当然に思えるほど。
戦いで磨き上げられたセンサーの感度は一般人のそれとは別次元のものなのだ。今の自分には全然わからない世界があるのだということを心底理解することがそこへいずれ到達する一つの扉だと思う。
posted by ゆりか at 22:37| Comment(0)
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