2018年03月10日

全身がわたし

武術における立つ力について代表から学び始めたとき、足で立つのではない、指でも首でも腹でも髪の毛でも、自分の全てで立つのだという言葉に心が震えた。

指で立つ、髪の毛でも立つ、立つこととまるで無関係に見える私の全てで立つ。あのときとは違う感じで今立っている。※全身の力を抜き続け、重力と調和した体を養う過程で身に付けるもの

立ち方が変わるにつれ、組手において刻一刻変わる状況のなかで以前よりからだの色々なところがそれぞれの判断で動いてくれる。全身がわたしとまではまだまだいかないが、だいぶ私が分散され拡大してきたようだ。分散し拡大した私は以前より漠然としており、だからこそ視野と対応力が広がった気もする。

私は分散し拡大し続け、やがてまわりと溶け合うのかもしれない。心身がその状態まで進化すれば、危険を未然に察知し回避する能力が高まり、危険には近づけないという渋川剛気の域に達するのか(漫画バキの主要登場人物、実在の合気道家がモデル)

でもなんか、代表にずっと胸を借りていると、夢物語ではない気もしてくる。立つ力と全身性がたかまるごと、戦闘技術がたかまるごと、打つでもなく技をかけるでもなく間合いやタイミングや強大な重さやその全てを用いて、相手が自滅してしまうことはあり得ると思う。現実的に態勢のバランスを崩すこともあれば、打撃力など攻撃力を下げさせること、戦闘意欲を奪うことも含めてあり得ると思う。

漫画の読みすぎと言われればそれまでだが、実にロマンが溢れるなぁ
posted by ゆりか at 22:48| Comment(0) | 日記
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