2020年04月29日

可能性に意味が

いつも練習をやる前は、わくわくする。公園で一人で太極拳を通す、自宅で空法をする、立禅をやる。今からやるぞと思うと、わくわくする。待ちに待った週刊雑誌のページをめくる気分だ。

私は体のことを、自分のことを何も知らないと知っているからだ。

過去の経験や得た知識は可能性のほんの1部で、そんなものでは縛れない無限性がそこにはある。終えた時はいつも未知を体験した快感に包まれる。でもそれすらほんの1部に過ぎないのだ。

なにより気が滅入るのは、「こうだ」と定義されること。正しい武道とは、正しい脱力とは、正しい社会常識とは、マナーとは、健康効果とは、云々。空体道は可能性を表現する武道である。護身術として技術も理論もきちんと習得できる、臨機応変でしなやかな心身を養える、衰えにくい動きかたや健康効果も一般的な言い方で説明できる、でももっと大切なのは可能性にある。仕事上、必要な時には頑張って言語化するが、言語化の縛りが、日に日に苦手になる。本当はただただ動きを全身全霊で味わうだけでいいのだ。

それを実感する毎日です。

ますますワケわからんことを言うようになってるかな。

ま、いっか(о´∀`о)
posted by ゆりか at 00:49| Comment(0) | 日記
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