
生産性を求められる社会活動の中では意識や目に見えるもの(代表的なのは数値かな)を前提にしなければいけないが、ふとそこから離れた自分自身そのものに目を向けると、そのほとんどは目に見えないし認識も制御もできない。そこに本当の自分自身の可能性や豊かさがあり、それを知るのを「足るを知る」というのだと受け取った。
この点は空体道に通ずる。目に見えない重力と体の働きそのものに任せることが脱力。(脱力にも様々な解釈と目的がある)
脱力した体は自然に動き、最小の動きで最大の力を発揮する可能性をもつ。代表が体現していますね。
無意識領域やら重力調和なぞ、言葉だけだとオカルティックな非現実に感じやすいが、確かに世の中も自分自身も、言葉にできない、わからないことの方が圧倒的に多いのだ。科学がこんなに進んでいるとはいえ、人間にわかることはわずかしかない。
非現実的なのが現実なんだなと思う。
なんかこういうの好き。
はじめまして、突然のコメント恐れ入ります。
たまたま、このブログに流れ着き、いくつか拝読させていただきました。
私の出身がこの本のタイトルにある長野県の伊那というところで、何か勝手に縁を感じコメントいたしました。
加島さんの著作は『タオ』しか読んでおりませんが、当時氏は御存命で伊那より活動を発信されており、当時大学生で伊那より上京していた私が読むというのも不思議な感じがしたのを覚えております。
これを機に、改めて再読してみようかなともおもいます。
川村様のブログにある、太極拳、体の流れ、心の動き等どこまで理解できているか分かりませんが、文才のあるウィットに富んだ文章を楽しく拝読しております。
今後も陰ながら応援しております。
コロナ禍というなかですが、どうかご自愛いただきますよう。
いつか、札幌の地で太極拳をご指導いただけたら、幸いです。
長文失礼いたしました。
唐沢
私は養老孟司さんも好きなのですが、お二人とも専門分野をやりこんで長く深い人生を経験した挙げ句に、「わからなさ」をまるごと受け入れている点が好きです。勝手にそう感じているのですが。
変わり者の戯言ブログですが、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げますm(_ _)m