2022年09月19日

姪のドストエフスキー

姪っこがドストエフスキーの「罪と罰」を読みたいと言ってきたので私のをあげようと思い、その前に再読している。昨晩は犯行の場面まで進んだ。終始逃れられない絶望の分厚く重い空気が続く。時代も社会背景も全く違うのに、この絶望の実感が共感を生むんだろうな。

今の生活にここまでの絶望はないが、それは私の受け取りかたが変わっただけで、生きることそのものにはこの重く逃れられない絶望が常に存在している。感じ方の差こそあれ、多分誰にもある。そことのつきあい方が空体道による体質変化で大きく変わったのだ。絶望は常にすぐそばに認識しながらも、それはそれとして何の根拠もなく平和で愉快。それが今の体からくる正直な感情。

大江健三郎しかり、ドストエフスキーしかり、人類に課せられた宿命的絶望の描写が極めて誠実。その誠実ゆえに苦しみ間違う、ある意味で純粋すぎる人間性に、膝が抜けるほど衝撃を受けることもある。誠実で純粋すぎるゆえに絶望をまるごと味わう、そういう人間が実際私のまわりに少なからずいて、そういう方々を美しいと感じている。ずるくうまく世渡りする選択もあるのにね。

姪っこは初ドストエフスキーをどう感じるのかなー

posted by ゆりか at 09:10| Comment(0) | 日記
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