
意識が全体にあるというのを代表にも教わる。一点集中ではない全体意識。代表の境地にはほど遠いけど私なりに以前よりは意識は拡大している。
今読んでいる大江健三郎のピンチランナー調書にも意識の話が出てくる。生活に必要な生産的活動のための意識状態は必ずしも絶対ではなく、見方や見る人により事実は真逆になるという思想が好き。表紙に大小の人間の版画があるが、障害のある作家の息子は大きい方を自分で小さい方が父と言うそう。一般的には逆だがどちらが正解とは言えない。介護実習で、障害のある男性が自画像を書いて見せてくれ、指が6本、足が3本のその絵をどう受け止めていいのか困惑したのを思い出す。
すべては正しく、すべては間違いで、全体が存在であると今は思う。