2025年07月22日

1にも2ににも修練

深刻な暑さですね。クーラーの効いた快適な居間で自主練習終えてレッスンに出てきました。代表の体調管理のためと思って購入したエアコンですが、炎天下の仕事の私にも生命を潤す恩恵。

ちょっときっかけがあって、武術が精神を支える意味についてまた考えていた。武術を精神論だけで語るのは嫌いです。本当に肉体の修練、技術の、戦いの修練をやりこむことなしに安直に精神論は語れないと思っている。が、ある程度やり込んだ前提で話すと戦闘技術や感覚が身についてくると自ずと精神は変わってくる。人に対する見方、環境に対する見方感じ方、怪我や生死に対する感覚ですね。ある意味では諦めでもあり、受け入れることとも通じる気がしている。

どんな状況でも維持されるべき脱力を求めて修練を続ける中で、意識の奥深くを感じることがあって、そこはたしかに静かなものだ。たびたび乱れて入るが、その存在は感じている。表層のさまざま動きに影響されない絶対的な平安が、たぶん人間の意識の奥底にはある。

いろんな行者がいろんな方法でそこに到達しようとしているのかもしれないとも。ただ私としてはそこの存在も知りつつ別にそこを求めるわけでもなく淡々と修練したい。技術と質の高度化、深化が最優先であり精神はそこに付随するもの。私にとってはそこの順番を変えることは逃げだ。

と、ややこしいことを考えつつレッスンに行って参ります!
posted by ゆりか at 09:44| Comment(0) | 日記
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