ブログのタイトルを昨年変えたのですが、女性が「私は武術家です」と言えるようになるのは結構大変なものです。武術という枠組みには体重別も性別も年齢別もないので、学んでいる武術の理に沿って、ある程度の「あらゆる状況」でそれを「自分なりに」でいいから体現できる自信がなければ、武術家とは言えないと思うからです。体格に劣る女性にとって、これを達成するのは本当に難しい。でも男性でも小柄な達人というのはいらっしゃるものですから、体格を理由にするのはズルイのかもしれませんけれどね。
これについては高校生の頃から考えていました。今のようにはっきりした疑問ではなかったけど、どうしたら「武術家」になれるのか。漠然と「武術家」のイメージを持っていて、それに近づくための方法論を探していました。
練精会に学んでいる今、私にとって絶対必要条件は代表なみの勁力。(※代表も日々増強されているのですごく相対的な表現ですが)それと、内家拳独特の戦闘技術が組手の中で自然に使えること。この戦闘技術を使うためにも強大な勁力は絶対必要になります。少なくとも今の自分の勁力の3倍〜5倍は必要と思っています。
今の私に見えているのはこの二つ。なかなか思い通りにいくものではないのですが、日々励んでいます。
先日市民講座の交流会で、「実はわたし〇〇なんです」というお題で自己紹介をすることになりました。意外に思えるエピソードを加えて自己紹介をし、交流を深めるものだったのですが、武術以外には何もないわたし、ここで初めて「実は私、武術家です」と言ってみました。自分の段階を冷静に見つめるとまだ言えるレベルではないのですが、ま、他に武術家の方もいらっしゃらなかったので挑まれることもないだろう(笑)、と思い、口にしてみました。聞いている方はただ「へ〜」と思っただけでしょうが、私にとってはなんとも心地よいような、それでいて重圧を感じる言葉です。それは色々な責任を含んだ言葉だからです。
これから先、きっといつか自分で自信を持って「私は武術家です」と言える日が来ることを夢見て、今日も暴
風雪の中を仕事に向かいます!!しばらくは丹田感覚の強化に励むことにします(^O^)/
まっちょれ〜〜!「武術家」のわたし〜〜〜!!!お〜!!かっちょいい〜〜〜〜☆☆☆(笑)
2015年01月20日
いつか武術家と
posted by ゆりか at 11:21| Comment(0)
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2014年09月30日
負けないこと
昨日も「ベスト・キッド」シリーズを見ていました。
武術は護身術、勝つためよりも負けないためにある。
「負けない」というのはどういうことだろうか、ベストキッドの映画でもそのことが繰り返し説かれている。
主人公のダニエルさんはいろんなところでトラブルに巻き込まれ、いじめやいやがらせを受ける。肉体的にしろ精神的にしろ、自分を攻撃してくる相手が一番望んでいるものはダニエルさん側が心身ともに打ちのめされることだろう。何をしても相手が幸せそうだったら、いじめる側は達成感を得られない。ダニエルさんは天然で明るい性格な上にミヤギやガールフレンドにも恵まれているため、どんな状況でも結局のところ楽しそう。だからこそいじめる側がよけいに腹立たしく感じるのですね。
生きているといろんなことが起きる。自分に不都合なことが起きた時は、勝たなくてもいいから負けないこと。泣いても叫んでもいいから最後は笑うこと。最後に笑うことが出来れば、負けてはいないのだ。
その「最後」がいつかというと、たぶん「今」なんだろう。今笑っちゃえば、今までに起きたすべての嫌なことも、全部こっちのモンなのだ。ただ、「今」が難しければ明日、明日出来なければ明後日でもいい。いつか笑うことが出来れば、「負けてない」と言っていい。
勝たなくていい、負けないこと。
今回の禅さんの取材の中でも代表が繰り返し言っていました。
勝たなくていいって思えれば、気が楽で、力も抜きやすいでしょ
ってね(^_^)
さ、今日も立禅しながらにゃんばろ!!
武術は護身術、勝つためよりも負けないためにある。
「負けない」というのはどういうことだろうか、ベストキッドの映画でもそのことが繰り返し説かれている。
主人公のダニエルさんはいろんなところでトラブルに巻き込まれ、いじめやいやがらせを受ける。肉体的にしろ精神的にしろ、自分を攻撃してくる相手が一番望んでいるものはダニエルさん側が心身ともに打ちのめされることだろう。何をしても相手が幸せそうだったら、いじめる側は達成感を得られない。ダニエルさんは天然で明るい性格な上にミヤギやガールフレンドにも恵まれているため、どんな状況でも結局のところ楽しそう。だからこそいじめる側がよけいに腹立たしく感じるのですね。
生きているといろんなことが起きる。自分に不都合なことが起きた時は、勝たなくてもいいから負けないこと。泣いても叫んでもいいから最後は笑うこと。最後に笑うことが出来れば、負けてはいないのだ。
その「最後」がいつかというと、たぶん「今」なんだろう。今笑っちゃえば、今までに起きたすべての嫌なことも、全部こっちのモンなのだ。ただ、「今」が難しければ明日、明日出来なければ明後日でもいい。いつか笑うことが出来れば、「負けてない」と言っていい。
勝たなくていい、負けないこと。
今回の禅さんの取材の中でも代表が繰り返し言っていました。
勝たなくていいって思えれば、気が楽で、力も抜きやすいでしょ
ってね(^_^)
さ、今日も立禅しながらにゃんばろ!!
posted by ゆりか at 09:08| Comment(2)
| 日記
2014年09月23日
リチャードと立つ力
本日も皆様ありがとうございました。皆様とのご縁に心から感謝申し上げます。ありがたや…m(__)m
清々しい気分で中学校の授業案をぼんやり考えながら、私の好きな言葉をまた思い出していました。
A professional writer is an amateur who didn't quit.
プロの作家とは、書くことを止めなかったアマチュア。
忘れていましたが、言ったのはリチャード・バックでした。かもめのジョナサンで有名な作家ですね。
この人はいい言葉をたくさん残していますね。
自由が欲しいときは、他人に頼んではいけない。君が自由だと思えたときが自由を手にしたときだ。
これもいいですね。主体的に生きる勇気をもらえますね。
練精会の立つ力は自分である力。自分を自分たらしめるのは、他の誰でもなく自分自身なのだね。武術においてはこの自分でいる力を維持するのは本当に難しい。
やってやるー
イテッ
コンニャロー
見てろー
すべて相手に囚われる自分ですね。でもそれも引っくるめて自分なのだな。そんな自分も受け入れて、しっかり立ち、動き、そして生きる。若い学生の皆様にも、そこんところ、片鱗でもお伝えできたらいいなぁ。でも説教くさくなりたくないしなぁ…と楽しみですね(^.^)
そんな素晴らしい立つ力を高めるべく、教室前に公園で立禅や套路練習をしていたら、足元に十円落ちてるのに気づいて拾っちゃいました♪ご褒美かしら☆ただし東区内の公園で十円を落としてお困りの方がいらっしゃいましたらお返しいたします。是非ご一報を…早くしないとおビール代の足しに使っちゃいますよー(o^・^o)
清々しい気分で中学校の授業案をぼんやり考えながら、私の好きな言葉をまた思い出していました。
A professional writer is an amateur who didn't quit.
プロの作家とは、書くことを止めなかったアマチュア。
忘れていましたが、言ったのはリチャード・バックでした。かもめのジョナサンで有名な作家ですね。
この人はいい言葉をたくさん残していますね。
自由が欲しいときは、他人に頼んではいけない。君が自由だと思えたときが自由を手にしたときだ。
これもいいですね。主体的に生きる勇気をもらえますね。
練精会の立つ力は自分である力。自分を自分たらしめるのは、他の誰でもなく自分自身なのだね。武術においてはこの自分でいる力を維持するのは本当に難しい。
やってやるー
イテッ
コンニャロー
見てろー
すべて相手に囚われる自分ですね。でもそれも引っくるめて自分なのだな。そんな自分も受け入れて、しっかり立ち、動き、そして生きる。若い学生の皆様にも、そこんところ、片鱗でもお伝えできたらいいなぁ。でも説教くさくなりたくないしなぁ…と楽しみですね(^.^)
そんな素晴らしい立つ力を高めるべく、教室前に公園で立禅や套路練習をしていたら、足元に十円落ちてるのに気づいて拾っちゃいました♪ご褒美かしら☆ただし東区内の公園で十円を落としてお困りの方がいらっしゃいましたらお返しいたします。是非ご一報を…早くしないとおビール代の足しに使っちゃいますよー(o^・^o)
posted by ゆりか at 00:17| Comment(0)
| 日記
2014年09月22日
組手で力抜く
昨日の組手稽古風景を公開しました。
仕事の都合で久しぶりに参加された兄弟子に胸を貸していただき、自分の成長と課題を再認識する実りある経験となりました。ニイサマ、ありがとうございました(*^_^*)(※今「けいけん」と打ったら「形拳」と変換されました(~_~;)日ごろどんだけ武術用語ばかり打っているかが伺い知れます・・・)
組手稽古を始めた当初から数年はとにかく力を抜くことに課題を集中すよう指導されました。少しずつ、勁力の感覚や、立つことへの意識をそこに追加していき、また技や歩法を積極的に試す時期もありました。ところがところが、とにかく組手中と言うのは力むもので、それがわかるほどやっぱりまた「とにかく力を抜く」ことに課題を再設定していかないと、と思うこの頃です。
技は自然に出てくるまで出そうとしない
と指導されます。思うようにいかない状況で、無理にそれを遂行しようとすると必ず力む。例え技が完遂したところで、力んで完遂しても意味が無い、と度々言われます。入るタイミング、間合い、形、がほんの少しずつではありますがよくなっている。あとは自然にそこへ「重さ」が乗ってくると自然と技が完遂するはずです。
とはいえ「技の完遂」はあくまでも結果であり、そこに執着してはいけません。とにかく力を抜く、相手を受け入れ、自分を受け入れ、結果や過程もすべて受け入れてあとはコツコツやりながら待つ。時機がきたら、そのとき何らかの形が表現されるでしょう。はじめは偶然のように、そしてそれが意識的に、且つ自然に繰り返されるようになった時が「身につく」ときです。そしてその時にはもうすでに次の過程が始まっているので、今望んでいる「結果」はまた「過程」になっているのでしょう。
エンドレスラブですね〜〜(●^o^●)あ、ラブは余計か・・・
仕事の都合で久しぶりに参加された兄弟子に胸を貸していただき、自分の成長と課題を再認識する実りある経験となりました。ニイサマ、ありがとうございました(*^_^*)(※今「けいけん」と打ったら「形拳」と変換されました(~_~;)日ごろどんだけ武術用語ばかり打っているかが伺い知れます・・・)
組手稽古を始めた当初から数年はとにかく力を抜くことに課題を集中すよう指導されました。少しずつ、勁力の感覚や、立つことへの意識をそこに追加していき、また技や歩法を積極的に試す時期もありました。ところがところが、とにかく組手中と言うのは力むもので、それがわかるほどやっぱりまた「とにかく力を抜く」ことに課題を再設定していかないと、と思うこの頃です。
技は自然に出てくるまで出そうとしない
と指導されます。思うようにいかない状況で、無理にそれを遂行しようとすると必ず力む。例え技が完遂したところで、力んで完遂しても意味が無い、と度々言われます。入るタイミング、間合い、形、がほんの少しずつではありますがよくなっている。あとは自然にそこへ「重さ」が乗ってくると自然と技が完遂するはずです。
とはいえ「技の完遂」はあくまでも結果であり、そこに執着してはいけません。とにかく力を抜く、相手を受け入れ、自分を受け入れ、結果や過程もすべて受け入れてあとはコツコツやりながら待つ。時機がきたら、そのとき何らかの形が表現されるでしょう。はじめは偶然のように、そしてそれが意識的に、且つ自然に繰り返されるようになった時が「身につく」ときです。そしてその時にはもうすでに次の過程が始まっているので、今望んでいる「結果」はまた「過程」になっているのでしょう。
エンドレスラブですね〜〜(●^o^●)あ、ラブは余計か・・・
posted by ゆりか at 10:32| Comment(0)
| 日記
2014年09月17日
弱点も受け入れると
体格
性別
運動能力
資質(性格)
ある程度の変更の余地はあれど、これらは生まれながらに大方決まっている。そういう「生まれながら」に左右される勝負事が、なんて不公平なんだとよく思っていた。修行により、稽古により変化できる自分、高められる自分、深められる自分、これまでとは違う自分に会ってみたくて、そういう道を探し求めていた。そういう道に出会って稽古を続けていく中で、「克服すべき弱点」であったはずのものたちが、頼もしく思えるようになってきた。
女性の私の場合、勁力を高めて打撃力を増すことも出来るが、「一発でどうにかする」ことを望むより、変化した方が断然楽。立ち方の精度を高めることが出来るとはいえ、足を止めてがっぷり四つに組んで勝負するより、移動しながらの方が気が楽だ。身体の統一化が進むほど貧弱な腕も強くなっていくけど、腕っぷしで勝負するより水のように相手にまとわりつき、からみついて動きを封じるのもまた有効。そうなるとやはり私の活路は八卦掌に見えてくる。練精会の戦闘理論は八卦掌の変化や歩法の影響が強いので、私にはちょうどいいのですね。
克服しようと頑張っていた元弱点が、私の強みになる・・・かもしれない。まだそう言い切ることが出来るほどのレベルではないですがほんのりと、その予感は感じています。
根っから細かいことが苦手な私。料理も「手抜き手抜き」を追求して行ったら、段々手を抜きながらのレシピの応用もできるようになってきた。何事も、弱点を克服しようと気負わなくても、受け入れて試行錯誤しているとなんとかなるもんですね(●^o^●)これだから人生やめられまへんなぁ(笑)
性別
運動能力
資質(性格)
ある程度の変更の余地はあれど、これらは生まれながらに大方決まっている。そういう「生まれながら」に左右される勝負事が、なんて不公平なんだとよく思っていた。修行により、稽古により変化できる自分、高められる自分、深められる自分、これまでとは違う自分に会ってみたくて、そういう道を探し求めていた。そういう道に出会って稽古を続けていく中で、「克服すべき弱点」であったはずのものたちが、頼もしく思えるようになってきた。
女性の私の場合、勁力を高めて打撃力を増すことも出来るが、「一発でどうにかする」ことを望むより、変化した方が断然楽。立ち方の精度を高めることが出来るとはいえ、足を止めてがっぷり四つに組んで勝負するより、移動しながらの方が気が楽だ。身体の統一化が進むほど貧弱な腕も強くなっていくけど、腕っぷしで勝負するより水のように相手にまとわりつき、からみついて動きを封じるのもまた有効。そうなるとやはり私の活路は八卦掌に見えてくる。練精会の戦闘理論は八卦掌の変化や歩法の影響が強いので、私にはちょうどいいのですね。
克服しようと頑張っていた元弱点が、私の強みになる・・・かもしれない。まだそう言い切ることが出来るほどのレベルではないですがほんのりと、その予感は感じています。
根っから細かいことが苦手な私。料理も「手抜き手抜き」を追求して行ったら、段々手を抜きながらのレシピの応用もできるようになってきた。何事も、弱点を克服しようと気負わなくても、受け入れて試行錯誤しているとなんとかなるもんですね(●^o^●)これだから人生やめられまへんなぁ(笑)
posted by ゆりか at 13:33| Comment(0)
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