道シリーズ35は「前後の力を高める」
立つ安定度を高める崩しあい練習や、使える重さ(勁力)の確認と向上を図るための感覚対練において、左右、上下よりもまず先に前後の方向性の力を高める必要がある。前後の方向性とは、押す、引く方向。押す力はそのまま打撃力にもつながる。(※崩し等を用いるには上下方向の重さが大切になるが、順番からいくと前後の方が習得しやすい)
練精会では立つ力と出せる重さが比例するから、まずは自分の体重を力まずに支えられること、相手から圧力を与えられてもその力まない安定が減少しないことが大切。無抵抗な相手に自分から力を出す時だけ強くても仕方がない。相手も攻撃してくる、抵抗してくる中でいかに自分自身の最善の状態を保てるかを求めていく。
平行立ちで、前後の弓歩で、虚歩で、または動きながらも重さで立ち、重さを伝えられるように。どんなに体重の軽い人でも、根気よく力を抜いていくと相当に重いものだ。うちの7キロのワンコでさえ、力を抜いて体を委ねてくると相当に重い。大人の人間の体重なら、小柄な人でも数十キロはある。それをうまく活用する。
具体的な練習方法は文章では伝えづらいので各教室での指導になる。まずは押され負けにくい、強烈に重い前後の立ちかたの安定を高めていこう。
2016年12月15日
道シリーズ35
posted by ゆりか at 15:04| Comment(0)
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2016年12月14日
道シリーズ34
道シリーズ34弾は、「男女差について」。
高校時代に空手の北海道指定強化選手に選ばれた期間、何度か合宿に参加した。
合宿で打ち込み練習などを混合でやると、寸止めとはいえ体格の大きな男性の飛び込む突きの速さ、勢いはすさまじく、チャウ・シンチーの映画の描写のように顔の肉が風圧でめくれあがるような気分になったものだ。
それ以来大学ではいくつかの道場でお世話になり、そこここで体格の大きい男性の動きを体感したが、痛いほど強く当てられてはいないのに、今でも思い出すと軽い恐怖を感じるほど衝撃的だった。
うちの代表は、性別について非常にフラットな思考をしており(これもまた珍しいのですよ)、私のような「女だから伸びるのは難しい」という先入観を、出会った時から持たない方だった。そこを乗り越えたいと夢見つつも私のなかに根強く刷り込まれた「女性=格闘における劣等種族」という思いを、いつか必ず払拭できると励ましてくれたのも代表だった。
過去には何度も男性から「女の子なんだからほどほどにやればいいじゃないか」と言われ、その度に、性別のせいで彼らと同じ土俵に上がれないさみしさを味わった。
女性が格闘において不利なのは、威力を高めづらいことがその一つとして挙げられる。攻撃にしろ防御にしろ、動きに威力がなければ相手を制することは難しい。
その威力を筋力トレーニングで増強させるのには、私の体質には限界があった。過去は怪我の連続だった。代表の理論による「重さ」を活用することは、そんな私には夢のような喜びだった。
鍛え上げられた筋力に匹敵するほどの重さを使いこなすには相当な努力がいる。でもその道筋は存在する。
その他戦闘技術については、あの柔らかい組手が学ばせてくれる。
そして今取り組んでいる棒術をはじめ、武器術がそこに加わると、威力の点でまた性別の差は減っていく。
男性に勝りたいわけではないけれど、高い壁を乗り越える目安として、そのように考えていくのは夢がある。
非力な人が強さを持ちうるための具体的な道順がきちんとある。
わたしの人生は練精会に救われたのだ。わたしが女に生まれつつ武術にこだわって挫折しながらも生きてきたこれまでの道のりが、全てここにつながっていたのだと、また改めて思う。
ということで小柄な男性や、武術を志す女性たち、私も長い間いろいろありながら頑張っています!みんなでススモー(^o^)/くーたいどー!おー!(^o^)/
高校時代に空手の北海道指定強化選手に選ばれた期間、何度か合宿に参加した。
合宿で打ち込み練習などを混合でやると、寸止めとはいえ体格の大きな男性の飛び込む突きの速さ、勢いはすさまじく、チャウ・シンチーの映画の描写のように顔の肉が風圧でめくれあがるような気分になったものだ。
それ以来大学ではいくつかの道場でお世話になり、そこここで体格の大きい男性の動きを体感したが、痛いほど強く当てられてはいないのに、今でも思い出すと軽い恐怖を感じるほど衝撃的だった。
うちの代表は、性別について非常にフラットな思考をしており(これもまた珍しいのですよ)、私のような「女だから伸びるのは難しい」という先入観を、出会った時から持たない方だった。そこを乗り越えたいと夢見つつも私のなかに根強く刷り込まれた「女性=格闘における劣等種族」という思いを、いつか必ず払拭できると励ましてくれたのも代表だった。
過去には何度も男性から「女の子なんだからほどほどにやればいいじゃないか」と言われ、その度に、性別のせいで彼らと同じ土俵に上がれないさみしさを味わった。
女性が格闘において不利なのは、威力を高めづらいことがその一つとして挙げられる。攻撃にしろ防御にしろ、動きに威力がなければ相手を制することは難しい。
その威力を筋力トレーニングで増強させるのには、私の体質には限界があった。過去は怪我の連続だった。代表の理論による「重さ」を活用することは、そんな私には夢のような喜びだった。
鍛え上げられた筋力に匹敵するほどの重さを使いこなすには相当な努力がいる。でもその道筋は存在する。
その他戦闘技術については、あの柔らかい組手が学ばせてくれる。
そして今取り組んでいる棒術をはじめ、武器術がそこに加わると、威力の点でまた性別の差は減っていく。
男性に勝りたいわけではないけれど、高い壁を乗り越える目安として、そのように考えていくのは夢がある。
非力な人が強さを持ちうるための具体的な道順がきちんとある。
わたしの人生は練精会に救われたのだ。わたしが女に生まれつつ武術にこだわって挫折しながらも生きてきたこれまでの道のりが、全てここにつながっていたのだと、また改めて思う。
ということで小柄な男性や、武術を志す女性たち、私も長い間いろいろありながら頑張っています!みんなでススモー(^o^)/くーたいどー!おー!(^o^)/
posted by ゆりか at 15:05| Comment(0)
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2016年12月05日
道シリーズ33
道シリーズ33は「力を抜く発達段階」
力を抜くことを心がけて続けていくと、段階を経て感じ方が変わってくる。個人差もあるので一概には言えないが、経験をもとに書いてみたいと思う。順番は人により前後することもある。
1、立禅をしていて初めはあった肩・腕の疲労感がなくなっていく
2、肩が楽になり、首が長くなったように感じる
3、腕の付け根が肩ではなく肩甲骨や腰や丹田のような感じがする。背中の動きを自覚する
4、胸や腰の力みを自覚し、抜くよう取り組む
5、ゆっくり呼吸すると胸が緩むのを感じる、腕の重さを感じられる
6、胸が緩むと腰が緩むのを感じる、わき腹もゆるみ、肩甲骨が落ちつく、頭部が安定する
7、腰が漠然とした部位でなく、背骨の大体このあたり、骨盤のこのあたり、仙骨、股関節、と細かく感じられるようになる
8、体全体として、以前より感覚がはっきりする
9、生活の中の力みを自覚し、手放そうと思い始める
10、膝や太もも、股関節、腰まわりが少しずつ緩み始め、下半身の動きが楽になる
11、骨盤と股関節に体がきちんと乗り、丹田、仙骨、中心の力まない安定感がでてくる
12、人から圧力を加えられても以前より体にかかる負担が軽く感じる
13、足裏に体重を感じ、または重力を感じる、頭部、体幹部、足裏が緩やかにつながる
14、静止状態で重力に引かれ、また地面から押し返される抗力を体感する
15、動いている状態でも重力と抗力を体感する
16、対人練習で以前とは違う反応をする自分に気がつく
17、体は重みと同時に自由さを感じる
18、体全体が均一に緩み始め、自由舞や歩法は滑るように流れるように円滑になる
19、立禅をしていて、体のなかが揺らいでいるのを自覚する、体を全体として感じる
20、どんな状況でもその体でいられる
20まで来れば、重さを活用した勁力をある程度使えるし、自由舞を深め、組手の変化や用法などもある程度できるはず。
ただし、質を深めて繰り返していくものなので、終わりはない。どこどこまでも掘り下げていくことが可能。
力を抜くことを心がけて続けていくと、段階を経て感じ方が変わってくる。個人差もあるので一概には言えないが、経験をもとに書いてみたいと思う。順番は人により前後することもある。
1、立禅をしていて初めはあった肩・腕の疲労感がなくなっていく
2、肩が楽になり、首が長くなったように感じる
3、腕の付け根が肩ではなく肩甲骨や腰や丹田のような感じがする。背中の動きを自覚する
4、胸や腰の力みを自覚し、抜くよう取り組む
5、ゆっくり呼吸すると胸が緩むのを感じる、腕の重さを感じられる
6、胸が緩むと腰が緩むのを感じる、わき腹もゆるみ、肩甲骨が落ちつく、頭部が安定する
7、腰が漠然とした部位でなく、背骨の大体このあたり、骨盤のこのあたり、仙骨、股関節、と細かく感じられるようになる
8、体全体として、以前より感覚がはっきりする
9、生活の中の力みを自覚し、手放そうと思い始める
10、膝や太もも、股関節、腰まわりが少しずつ緩み始め、下半身の動きが楽になる
11、骨盤と股関節に体がきちんと乗り、丹田、仙骨、中心の力まない安定感がでてくる
12、人から圧力を加えられても以前より体にかかる負担が軽く感じる
13、足裏に体重を感じ、または重力を感じる、頭部、体幹部、足裏が緩やかにつながる
14、静止状態で重力に引かれ、また地面から押し返される抗力を体感する
15、動いている状態でも重力と抗力を体感する
16、対人練習で以前とは違う反応をする自分に気がつく
17、体は重みと同時に自由さを感じる
18、体全体が均一に緩み始め、自由舞や歩法は滑るように流れるように円滑になる
19、立禅をしていて、体のなかが揺らいでいるのを自覚する、体を全体として感じる
20、どんな状況でもその体でいられる
20まで来れば、重さを活用した勁力をある程度使えるし、自由舞を深め、組手の変化や用法などもある程度できるはず。
ただし、質を深めて繰り返していくものなので、終わりはない。どこどこまでも掘り下げていくことが可能。
posted by ゆりか at 22:23| Comment(0)
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道シリーズ32
道シリーズ32は「目的を知る」
練精会の練習体系には対人、個人共に様々なものがある。勁力感覚を磨くもの、技を学ぶもの、安定した立ちかたを学ぶもの、凝り固まった体をゆるめるもの、間合いやタイミングを学ぶもの、リズムを学ぶもの、流れを学ぶもの、変化を学ぶもの、等など。その人それぞれの習得段階により同じ練習法でも課される目的は違ってくるが、基本的にこの練習ではなにをしなければならないのか、その第一目的を見誤ると身に付くべきものが身に付かない。特に肉体のハンデを持つ私たちが「細い武術の道」を歩む際、そういう誤解は逆に自分を追い詰める要因となるので注意が必要です。
人はゲーム感覚で気軽に勝敗を決めるのを好むものなので、対人の練習でその気持ちが優先すると、目的とは別の基準で内容を見て誤解してしまうことになる。これは自分の経験をもとに書いている。強いわけでもないのに無意識の闘争心から練習目的を見誤ることがあったと、今は反省している。
できるだけ説明もしながらやっているつもりですが、何のためにしているのかわからない練習があったらドシドシ聞いて下さいね。
そして大きな視点からみて練精会として目指している「人の可能性を引き出す・自然と調和する」という目的も心のどこかで共有できればと思っています。学べば学ぶほど、人って、自分って楽しいなと思う(^^)
練精会の練習体系には対人、個人共に様々なものがある。勁力感覚を磨くもの、技を学ぶもの、安定した立ちかたを学ぶもの、凝り固まった体をゆるめるもの、間合いやタイミングを学ぶもの、リズムを学ぶもの、流れを学ぶもの、変化を学ぶもの、等など。その人それぞれの習得段階により同じ練習法でも課される目的は違ってくるが、基本的にこの練習ではなにをしなければならないのか、その第一目的を見誤ると身に付くべきものが身に付かない。特に肉体のハンデを持つ私たちが「細い武術の道」を歩む際、そういう誤解は逆に自分を追い詰める要因となるので注意が必要です。
人はゲーム感覚で気軽に勝敗を決めるのを好むものなので、対人の練習でその気持ちが優先すると、目的とは別の基準で内容を見て誤解してしまうことになる。これは自分の経験をもとに書いている。強いわけでもないのに無意識の闘争心から練習目的を見誤ることがあったと、今は反省している。
できるだけ説明もしながらやっているつもりですが、何のためにしているのかわからない練習があったらドシドシ聞いて下さいね。
そして大きな視点からみて練精会として目指している「人の可能性を引き出す・自然と調和する」という目的も心のどこかで共有できればと思っています。学べば学ぶほど、人って、自分って楽しいなと思う(^^)
posted by ゆりか at 21:41| Comment(0)
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2016年12月02日
道シリーズ31
道シリーズ31は「攻撃を受けて流れを知る」
たまにこんな練習をする。足を止めて向かい合った相手と交互に顔や胴体をゆっくり打ちあう。まっすぐでも、横からでも何でもいい。それに合わせて身体を動かすことを学ぶ。最初は手での防御をせず、柔らかく打ってもらい、その打たれた方向に沿って身体を変形させ、どうしたらその力を逃がせるかを知る。打たれた方向と無関係に動けば、ほんとに強く打たれた時に衝撃をまともに受けてしまうから、逃がし方を身につけるのはとても大切なのです。接近戦だと全ての打撃を避けきることは難しいから、当てられてからの逃がしも必要。
打撃の逃がし方がわかったら、それに手をつけて、片手、両手、絡めて、防御から次の反撃(打撃・崩し)への変化を身体で覚えていく。ただこれはとにかく体幹部の力が抜けないとできない。体幹部が強いのはいいことだけど「ヌリカベ」みたいに固まっていてはその強さは活かしきれない。体幹部が打撃に反応できると、手法の変化はついてくる。そして腰もふくめて全体的に力が抜けてくるとそれに歩法も伴ってくる。
こればかりは打たれてみないと学べないので、柔らかく打たれることを繰り返し、どういう流れで動けば衝撃を分散し次の動きにつながるかを知ること。組み手にしろ上述の対練にしろ、打たれることをむやみに怖がらないで、受けてみるというのがすごく大切。信頼できる同門同士なので、拒絶しないで相手の動きをしっかり受けてみましょう。そこからわかることはたくさんありますよ☆
たまにこんな練習をする。足を止めて向かい合った相手と交互に顔や胴体をゆっくり打ちあう。まっすぐでも、横からでも何でもいい。それに合わせて身体を動かすことを学ぶ。最初は手での防御をせず、柔らかく打ってもらい、その打たれた方向に沿って身体を変形させ、どうしたらその力を逃がせるかを知る。打たれた方向と無関係に動けば、ほんとに強く打たれた時に衝撃をまともに受けてしまうから、逃がし方を身につけるのはとても大切なのです。接近戦だと全ての打撃を避けきることは難しいから、当てられてからの逃がしも必要。
打撃の逃がし方がわかったら、それに手をつけて、片手、両手、絡めて、防御から次の反撃(打撃・崩し)への変化を身体で覚えていく。ただこれはとにかく体幹部の力が抜けないとできない。体幹部が強いのはいいことだけど「ヌリカベ」みたいに固まっていてはその強さは活かしきれない。体幹部が打撃に反応できると、手法の変化はついてくる。そして腰もふくめて全体的に力が抜けてくるとそれに歩法も伴ってくる。
こればかりは打たれてみないと学べないので、柔らかく打たれることを繰り返し、どういう流れで動けば衝撃を分散し次の動きにつながるかを知ること。組み手にしろ上述の対練にしろ、打たれることをむやみに怖がらないで、受けてみるというのがすごく大切。信頼できる同門同士なので、拒絶しないで相手の動きをしっかり受けてみましょう。そこからわかることはたくさんありますよ☆
posted by ゆりか at 10:05| Comment(0)
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