2016年11月27日

道シリーズ30

道シリーズ30弾は「委ねる感覚を知る」

力を抜くと言うことは、重さに、重力に身を委ねる(ゆだねる)と言うこと。動き続けると言うことは、流れに身を委ねると言うこと。ゆらぐというのは、止まらない身体の自然な働きに心身を委ねること。

自分だけの力でどうにかしようとするうちは力が抜けないが、委ねると言う感覚をもつと抜けやすい。意識的にそうしていき、しだいに委ねることに慣れていく。

テレサ・テンの名曲「時の流れに身をまかせ」とは、一見すると易きに流れる怠惰な状態をイメージしなくもないけれど、意識的にまかせ、委ねていくには明確な自覚と決意が必要。重さを自覚し、重力を自覚し、動き続ける内面を明確に自覚した上で、それに委ね続ける決意をする。たとえ自分の力でやっちゃった方が楽な状況であっても、そこをぐっと堪えて委ね続ける。不安にも負けずやり抜かなくてはいけない。テレサの歌にもそれが込められている(と、私は思っている)。

力を抜くのは一見易しそうだが、やってみるとそうでもないのです。

昨日自主練習中に久々に畳の上であおむけになってみたら、夏に見て感銘を受けたナメクジのごとく背中全体が、身体の接地面全体がべっとり吸着しているのを感じた。夏よりも重力と親しくなっているのがわかった。

そのまま立てば、重さは足裏へべっとり落ちているはずなのだ。寝ている時のようにはまだ抜けていないはずだが、深まってはいる。

今晩も重力に身を委ねまくって寝ましょう〜〜(^^)/
posted by ゆりか at 22:02| Comment(0) | 道シリーズ

2016年11月26日

道シリーズ29

道シリーズの29弾は「待つ」

組み手の際に、以前から代表に「相手の動きを味わえ」「受け入れてありがたくちょうだいしろ」と言われてきました。組み手以外の足を止めた状態でなら、または勁力を伝えあうだけなら実感していましたが、これを組み手でもやらなくてはいけない。

相手を無視してやみくもに動くと、機をうかがうことなくひたすら前のめりに実行しようとするので、その時点で心身のバランスは崩れている。力んで態勢が崩れたり、身体の一部しか動かなかったり、重心が狂ったり、気持ちが急いてまわりが見えなくなる。じっくりと、相手の動きを感じ、待ち、するべきまさにそのタイミングで実行できるようにする。

多分これは色々な試行錯誤の後に少しずつ状況を変えて実感できるもので、すぐには出来ない。ほんの少しだけ感じる程度だけど、なんとなくある。私は時間がかかったけど、もっと早く身につける人もいると思いますけどね、それにしても、ある程度の経験が必要。

力が抜ける過程でも、抜けない自分にヤキモキすることもあるし、うまくいかない自分に焦ることもある。相手がこうきたらどうしようと頭が働くほどに身体と心は分離してバランスを崩すし、呼吸も乱れる。それを自覚しつつ、「待つ」ということを時折思い出してみる。

ふとした瞬間に、以前には感じられなかったものを感じたり、見えなかったものが見えてくる(オバケじゃないですよ)。それは対人練習でも一人練習でも感じられる。

待つこと。その意味を、また別の角度から味わっているなぁ。。。
posted by ゆりか at 14:24| Comment(0) | 道シリーズ

2016年11月25日

道シリーズ28

道シリーズ28弾は「学び方」

武術はその学び方によって習得が左右される。学び方とは、週に何回練習するとか、何年やるとか、そういうことではなく、心のありようと実際の練習に対しての姿勢をいう。

心のありようとして必要なのは、できるだけ先入観や思い込みを捨てていくよう努めること。同じものを聞き、体験し、見ても、その人の頭の中が先になにかで満たされていては、今受けた体験が色や形を変えてインプットされてしまう。できるだけ聞いた通り、みたとおり、感じたとおりを身体に覚え込ませていくことが大切。コップが空でなければ、なにも入らないのですね。これは初心者にも当てはまるし、逆に長年練習している人にも当てはまる。勿論私自身にも。日々捨てられるものがないか、自己確認してみる。

そしてもう一つは、常に自分の今の状態を正しく認識すること。今自分にできること、以前にはなかったもの、今あるもの、そしてこの先身につけていくべき状態をよく知ること。この先身につけていく状態は、先生が伝えてくれる。先生の動きをよく見て、体験し、味わうこと。暗闇の洞窟の中、道しるべの灯がなければその場から一歩も動くことは出来ないし、今の自分のありかがはっきりしないと、歩む気持ちを失ってしまう。

練精会の武術は誰もが学び、高めることができる一方で、その道筋はとても細い。だからこそ正しい自己認識と理解が必要。副代表の私はみなさんの歩みをサポートできる存在でありたいと思っています。なにかあれば気軽に質問してくださいね(^^)/

この内容は道シリーズの最初の方とも重なります。でもこうして30ほど書いてきて、やはりまた思うのがこの心の姿勢。重複になりますがまた書いてみました。

posted by ゆりか at 22:27| Comment(0) | 道シリーズ

2016年11月22日

道シリーズ27

道シリーズ27は「体の隅々を感じる」。

一人練習の時、体の隅々を感じるようにする。慣れてくると、体の方から訴えかけてくるのでそれに委ねて動けるが、体がウンともスンとも言わない内は、意識の方から働きかける。

日頃存在を意識したことのない、たとえば足の中指とか、股関節とか、背骨の何番目とか、頭がい骨とか、毛穴とか、内臓とか、とにかくなんでもいいから体の隅々を感じてみる。感じながら動いたり、立禅をする。

すると、そのどれもが毎瞬間ごと、どんなに躍動し、生きているかを感じられる。そこで恍惚として終わりにするのではなく、感じ始めたら次第にそこにこだわることをやめ、意識を減らしていく。

だんだんと、足の中指のほうから、股関節のほうから、背骨の何番目かから、訴えてくる。

※この下は「目玉のオヤジ」のような声でお読みください

おぃっ!足の中指働いてるんだど!
おぃっ!オメー、仙骨のこと忘れてたろっ!
おぃっ!変なモン食って内臓酷使してんじゃねーよっ!
おぃっ!キタロゥッ!

と。そうなるともうあとはそれに背中を押されながら、反省しながら、自分に謝ったり、逆に楽しすぎて嬉しくなったりしながら一人練習が止められなくなる。

ここだけ読むとかなりの変態ですが、道シリーズを通してお読み頂けると受け入れてもらえるかと思います(-_-;)

こうして全然関係ないような体の隅々を感じ、全部を携えて動けるようになると、また体は変わってくる。そして重力がまた協力してそれら全てを有効に働かせてくれることがわかるのだ。

こういう体とのトークが、大好物なんだなぁー。。自分のもだけど、人のそういう話を聞くのも好物。皆さま是非自主練習中のセルフトークについて、今後もドシドシお話しくださいね(^_^)
posted by ゆりか at 19:18| Comment(2) | 道シリーズ

2016年11月21日

道シリーズ26

道シリーズの26弾は「接触感覚を繊細にする」

肉体的ハンデを抱える人が武術を高める時に必要なのは、大きな力やわかりやすい強さというよりも、繊細な感覚だと思っている。練精会ではそれを「接触」を通じて高めていく。

散手や推手、各種対練を通じて相手と接触することに、まずは慣れること。慣れないうちは、接触するだけで、もしくは接近するだけで、または向かい合っただけで緊張するもの。緊張は繊細な感覚を鈍らせる。触れること、接近することに心身を慣らしていくと、接触というものがいかに様々な情報を与えてくれるのかがわかるようになる。接触を通じて、相手の距離感覚を計ったり、攻撃意図を感じたり、力の強度や方向性、動きの癖を感じ取る。それは視覚から得る情報よりもより多彩で幅が広い。

視覚情報には先入観が多分に介入するが、触覚はよりピュアなのだ。接触から情報を得ることを繰り返し学んでいき、力む相手にも、攻撃してくる相手にも常にソフトに触れることができるようになればなるほど、重さの勁力を使えるようになり、そして接触感覚を変えずに変化するので、相手に察知されにくい動きができるようになる。

そしてそれが高まると接触していなくても、以前より察知能力が高まっているのがわかるようになる。これは私の場合まだまだ未熟なのですが、でも以前にはなかった感覚の高まりははっきり実感しているので自信を持って書ける。

強い力、堅い力、大きな力を目指すより、繊細な感覚、ソフトな接触、そこから磨かれていくものを目指す。勿論、重さの勁力はどこどこまでも高めていく必要があるが、同時に繊細さも必要なのだ。

人に触れる時はどこどこまでも柔らかく柔らかく。触れたところから入って来る情報に耳を傾けよう〜〜(^^)
posted by ゆりか at 21:51| Comment(0) | 道シリーズ