道シリーズ19弾「勝りたい気持ちを自覚する」
これはある映画からの引用でもあるのですが(ブログでも紹介したインドネシアの武術映画「ゴールデン・アームズ」より)。人に勝りたい、評価されたい、優位に立ちたい、と、誰しも人はどこかで思っているもの。それが力みを生みだす大きな原因の一つになります。これ自体は悪いことではないし、当たり前のこと。でもそれを自覚しないでいると、力みを取り除くこともできないし、自分のまるごとを受け入れて前に進むことも難しい。
自分は気が弱い、闘争心などない、実は私もそう思っていて、ある日それを代表に話したら
「あぁ〜〜!??」
と、ものすごく驚かれました(笑)というのも、動きにも、態度にも、言葉にも、その闘争心はまるまると出ていたそうで、まさか本人が自覚していないとは思っていなかったと(笑)
でも私自身は本当に自覚がありませんでした。でもそれからずっと時を経て、練習を重ねてきて、ようやくその当時の自分の無自覚な闘争心がわかります。出来ない自分が悔しくてもがいてもがいていたのも、その闘争心がゆえだったと。練習を繰り返す中で様々な自覚が促されて、やれること、やれないこと、出来るようになったこと、まだ出来ないこと、それらを逐一リアルタイムで自覚する習慣を持てるようになると、そういう心を少し客観的に見ることができるのだと思いました。闘争心自体は悪いことではなく、それが自分を前に進める力にもなるし、自分を自分たらしめる力になる。でも扱いを間違えると、なにより自分の首を絞める要素にもなりえる。
だからよく自覚して、うまく付き合わなくてはなりません。力みを自覚し、手放す過程で色々な自分と出会います。私は今時点でも自分のことがかなり好きですが、これからもまだ知らぬ自分と出会うのかと思うと、トキメキすら覚えます。変態ですね(笑)でも「自分が嫌い」なんて生命の本質に反しているのだから、好きでいいのだと思っています。身体の機能は全力で自分自身を癒し、活性化し、前へ進もうとしてくれ続けている。
武術はそういう点でものすごく自覚が生まれやすいのです。練習の過程で常に人とふれあい、その中で様々な思いを味わうことになる。だからこそ「自覚」が促される。ブルース・リーの言うように、心の開拓につながっていくのですね。
私と同じように自覚のない方々は是非、今後もじっくり自分の中身を味わっていきましょう〜〜。
2016年11月14日
道シリーズ19
posted by ゆりか at 10:51| Comment(0)
| 道シリーズ
2016年11月11日
道シリーズ18
道シリーズ18は「組手の発達段階」
私自身がまだまだ成長中ということを踏まえた上で、練精会の組手練習にはある一定の発達段階があるとなんとなく思う。人によりこれとは別のルートを辿ることもあると思うが、まだ学びはじめの人の今後の道筋として、おおまかな目安になればと思う。
1、上級者に導かれるが、自分がなにをし、されているのかわからない。
2、導かれつつ、なにをされ、なにをしているかがわかってくる。
3、意図的に、これをしよう、あれをしてみよう、と試み始める。
4、うまくいかず、試行錯誤する
5、先生や先輩の動きから盗めるようになってくる
6、少しずつ成果を実感する
7、防御、打撃、投げ、崩しの技の研究を始める、型の意味を実感し始める
8、うまくいかなくとも、試みてみる
9、自分がなにをし、なにをされているか、実際どんなダメージが加わるものか、冷静に判断し、調整ができる、危険なく受け身や防御ができる。
この辺まで来ると、互いが互いを高めあえる組手になる。そして以前にも増して、「先生スゲー。。」とその質がわかってくる。
10、勁力、立ち方、重さ、自分への身体意識を保ったまま組手ができるようになる。
11、相手の間合いや癖や戦闘技術がなんとなくわかってきて、それに沿って調節ができる。
ここまでくると、我を忘れてしまうことはない。おおむね気持ちが波立たずに組手練習ができる。そしてさらに先生のすごさがわかり、謙虚になる。
12、誰とやっても変わらない動きや重さの質が出てくる。
13、動きに「先生っぽさ」が出てくる。
14、体格の違う相手にも有効な動きがではじめる。
15、精密なコントロールを兼ね備え、どんな相手にもある程度練精会の動きができる
ここまでくれば今の自分のできることと、また反対に限界もわかってくる。自信をもって取り組みつつも、課題をいつも把握してそれを高めるべく正しい自主練習に励むことができる。
あとは繰り返し繰り返しこれらを一生繰り返す。その過程でどんな練習相手とめぐりあうか、それもまた武縁で武運。うまい人とやればやるほど成長する。
自分がうまい人になって後輩をより具体的に導き育てられるようになったらまた次の段階。
こうして技術の学びと、心の学び(謙虚さと自信としなやかさと探究心)のリレーをしていくのじゃ。
私自身がまだまだ成長中ということを踏まえた上で、練精会の組手練習にはある一定の発達段階があるとなんとなく思う。人によりこれとは別のルートを辿ることもあると思うが、まだ学びはじめの人の今後の道筋として、おおまかな目安になればと思う。
1、上級者に導かれるが、自分がなにをし、されているのかわからない。
2、導かれつつ、なにをされ、なにをしているかがわかってくる。
3、意図的に、これをしよう、あれをしてみよう、と試み始める。
4、うまくいかず、試行錯誤する
5、先生や先輩の動きから盗めるようになってくる
6、少しずつ成果を実感する
7、防御、打撃、投げ、崩しの技の研究を始める、型の意味を実感し始める
8、うまくいかなくとも、試みてみる
9、自分がなにをし、なにをされているか、実際どんなダメージが加わるものか、冷静に判断し、調整ができる、危険なく受け身や防御ができる。
この辺まで来ると、互いが互いを高めあえる組手になる。そして以前にも増して、「先生スゲー。。」とその質がわかってくる。
10、勁力、立ち方、重さ、自分への身体意識を保ったまま組手ができるようになる。
11、相手の間合いや癖や戦闘技術がなんとなくわかってきて、それに沿って調節ができる。
ここまでくると、我を忘れてしまうことはない。おおむね気持ちが波立たずに組手練習ができる。そしてさらに先生のすごさがわかり、謙虚になる。
12、誰とやっても変わらない動きや重さの質が出てくる。
13、動きに「先生っぽさ」が出てくる。
14、体格の違う相手にも有効な動きがではじめる。
15、精密なコントロールを兼ね備え、どんな相手にもある程度練精会の動きができる
ここまでくれば今の自分のできることと、また反対に限界もわかってくる。自信をもって取り組みつつも、課題をいつも把握してそれを高めるべく正しい自主練習に励むことができる。
あとは繰り返し繰り返しこれらを一生繰り返す。その過程でどんな練習相手とめぐりあうか、それもまた武縁で武運。うまい人とやればやるほど成長する。
自分がうまい人になって後輩をより具体的に導き育てられるようになったらまた次の段階。
こうして技術の学びと、心の学び(謙虚さと自信としなやかさと探究心)のリレーをしていくのじゃ。
posted by ゆりか at 21:19| Comment(2)
| 道シリーズ
2016年11月10日
道シリーズ17
道シリーズ17弾は、「重さで立つ」。
代表の理論の中に「立つ力」という言葉がある。どんな人でも、特に怪我や不具合がない限り、「自分は立てる」と普通は思ってるんだけど、私の経験上「立つ」ことに無頓着なうちは、立ててはいない。
立ち方については、スポーツなり格闘技なり武道なり、それぞれの教えがあると思う。練精会ではいかに力を抜いて重力と調和して立つかが重要で、それがないと、自分の体重すら支えられず負担をかけてしまったり、ましてや小柄であるほど相手からの圧力は受け止める術もなく、態勢をもっていかれる。
打撃にしろ崩しにしろ、攻撃するにしろ防御されるにしろ、立つ力がなければなにも始まらない。どんなに変化ができても、やはりある程度でも重さを使えないと身を守ることは難しい。
重さを使う体になるには、重さで立つこと。重力と調和して立つこと。
これがまた大切なのですな。。
代表の理論の中に「立つ力」という言葉がある。どんな人でも、特に怪我や不具合がない限り、「自分は立てる」と普通は思ってるんだけど、私の経験上「立つ」ことに無頓着なうちは、立ててはいない。
立ち方については、スポーツなり格闘技なり武道なり、それぞれの教えがあると思う。練精会ではいかに力を抜いて重力と調和して立つかが重要で、それがないと、自分の体重すら支えられず負担をかけてしまったり、ましてや小柄であるほど相手からの圧力は受け止める術もなく、態勢をもっていかれる。
打撃にしろ崩しにしろ、攻撃するにしろ防御されるにしろ、立つ力がなければなにも始まらない。どんなに変化ができても、やはりある程度でも重さを使えないと身を守ることは難しい。
重さを使う体になるには、重さで立つこと。重力と調和して立つこと。
これがまた大切なのですな。。
posted by ゆりか at 12:22| Comment(0)
| 道シリーズ
道シリーズ16
道シリーズ16は「両腕を使う」です。
体格差のある相手の打撃を避ける場合、片腕だと避けきれない場合がある。なので例えば直拳(ストレートパンチ)を避けるにしても、片腕でも、両腕でも、平行にしても、交差しても、なんらかの形で両腕を相手の腕にからめられるようにしておくと、便利。
からめておけば、そのまま片方では相手の次の手を警戒し、掴んでまたは触れて防ぎつつ、他方の手で反撃したり、または引き崩しながら打撃に転じたり、崩しに入ったりが、少ない動作で最短距離でできる。
その際やはりシリーズのはじめにも書いた「前腕」を有効活用するのが大切。
防御と打撃に関しては、利き手だからとか、利き手じゃないからとか、使い勝手に言い訳しないで練習しなくちゃいけません。
ただ、崩しに関しては、私自身今のとこ相手との兼ね合いでやり易い方(左右)というのはなんとなくある。それもまた変わってくると思いますが。
左右の腕は等しく使い勝手を高めていくと、武術も高まるし、物を床に落として壊すことも減ります(^o^)/おっ得ー♪
体格差のある相手の打撃を避ける場合、片腕だと避けきれない場合がある。なので例えば直拳(ストレートパンチ)を避けるにしても、片腕でも、両腕でも、平行にしても、交差しても、なんらかの形で両腕を相手の腕にからめられるようにしておくと、便利。
からめておけば、そのまま片方では相手の次の手を警戒し、掴んでまたは触れて防ぎつつ、他方の手で反撃したり、または引き崩しながら打撃に転じたり、崩しに入ったりが、少ない動作で最短距離でできる。
その際やはりシリーズのはじめにも書いた「前腕」を有効活用するのが大切。
防御と打撃に関しては、利き手だからとか、利き手じゃないからとか、使い勝手に言い訳しないで練習しなくちゃいけません。
ただ、崩しに関しては、私自身今のとこ相手との兼ね合いでやり易い方(左右)というのはなんとなくある。それもまた変わってくると思いますが。
左右の腕は等しく使い勝手を高めていくと、武術も高まるし、物を床に落として壊すことも減ります(^o^)/おっ得ー♪
posted by ゆりか at 12:05| Comment(0)
| 道シリーズ
2016年11月09日
道シリーズ15
道シリーズ15弾は「自分と仲良くなる」
このシリーズで対象としている何らかのハンデを感じている人が武術を学んでいく時、折々に自分自身に対して
コンチクショー
と思うことが出てくるはず。真摯に取り組めば取り組むほど、悔しかったり腹立ちを感じるものだ。そこで武術とは別の方法で憂さ晴らしする人もいるかもしれないけど、私自身はそれがうまく出来なかった。結局、武術で感じた悔しさは練習で乗り越えるしかないと何度も思った。で、立ち返るべきはやっぱり「力を抜くこと」なのだ。心身ともに力を抜く。心が難しい時は身体で、身体が難しい時は心で。そうこうしているうち、また気づきが起きて楽しくなってくる。大体「コンチクショー」の身体から生まれる動きはロクなものではない。それにハタと気づければ、なんと非生産的なことをしているのか、、と我に返ることもある。
自主練習を重ねることは自分と仲良くなることにつながると、度々思う。いわば一人遊びみたいなものだから。一人遊びが充実してくると、悩んでいたことがどうでもよくなったりする。自己完結できると、人は強いものだな。人から評価を期待せずとも一人ニヤニヤしていられたら、それはまことに幸福。
ま、いつも強いひともいないし、いつもニヤニヤ出来る人もいない。たまに悩み、たまにニヤニヤし、たまに泣き、笑い、怒ったと思ったらまたニヤニヤして、そうこうしながら道を歩む。
なにがあろうが、中断があろうが、ダダをこねようが、スネてひっくり返ろうが、とにもかくにも続けること。それだけが目指すべき地への唯一の到達手段。歩み続けるのじゃ〜〜〜(^○^)/
このシリーズで対象としている何らかのハンデを感じている人が武術を学んでいく時、折々に自分自身に対して
コンチクショー
と思うことが出てくるはず。真摯に取り組めば取り組むほど、悔しかったり腹立ちを感じるものだ。そこで武術とは別の方法で憂さ晴らしする人もいるかもしれないけど、私自身はそれがうまく出来なかった。結局、武術で感じた悔しさは練習で乗り越えるしかないと何度も思った。で、立ち返るべきはやっぱり「力を抜くこと」なのだ。心身ともに力を抜く。心が難しい時は身体で、身体が難しい時は心で。そうこうしているうち、また気づきが起きて楽しくなってくる。大体「コンチクショー」の身体から生まれる動きはロクなものではない。それにハタと気づければ、なんと非生産的なことをしているのか、、と我に返ることもある。
自主練習を重ねることは自分と仲良くなることにつながると、度々思う。いわば一人遊びみたいなものだから。一人遊びが充実してくると、悩んでいたことがどうでもよくなったりする。自己完結できると、人は強いものだな。人から評価を期待せずとも一人ニヤニヤしていられたら、それはまことに幸福。
ま、いつも強いひともいないし、いつもニヤニヤ出来る人もいない。たまに悩み、たまにニヤニヤし、たまに泣き、笑い、怒ったと思ったらまたニヤニヤして、そうこうしながら道を歩む。
なにがあろうが、中断があろうが、ダダをこねようが、スネてひっくり返ろうが、とにもかくにも続けること。それだけが目指すべき地への唯一の到達手段。歩み続けるのじゃ〜〜〜(^○^)/
posted by ゆりか at 20:26| Comment(0)
| 道シリーズ