2019年06月05日

なかったら

たまにこんな想像をする。

もしも腕がなかったら
足がなかったら

と。動きにおいて優先しやすい腕や足がもしなければ、体はどう動くのかと。

立つことでいえば、もし手足がなければ頭から体幹部はまっすぐ鉛直に床に乗ることになる。頭が不安定だと体幹部ごと倒れてしまうからだ。動いてもこのままでいられれば望ましい。手足に頼らない動き。

最近、立っていてこのイメージが浮かぶ。手足なく鉛直に床に乗るという。

床から私が生えてる感じですね。今のお気に入りのベリーショートヘアで床から生えている。特になんの理由もなくいつも上機嫌で、目の前を通る人に「いってらっしゃい」 やら「おかえり」やら声かけをし、必要があれば話も聞く。たまに降る雨水と日光が栄養源で半永久的に稼働する。

想像すると、そんな私も結構アリかなとニヤニヤする。

さて、太極拳レッスンいってまいります!
posted by ゆりか at 09:09| Comment(0) | 日記

2019年06月04日

まとめると

最近気づいたことをまとめると、理想の体と心とは

方向が曖昧模糊として
(重力と調和して)まっすぐであり落ちており
角がなく
まとまっている

字で書くと曖昧模糊とまっすぐ・落ちるが矛盾しているようだが、体としては確かにこうなのだ。

目の見えない沢山の人間が象の体にそれぞれ触り、触った部位ごとの感触を言葉で伝えると象の全体は表現できるのか否か、というアレに似ていますね。

言葉はあくまでも代替手段。武術はいかに体現できるかが重要です。

先日の洗車でフロントガラスに使用したガラコが効いてます。雨をはじくわ〜
posted by ゆりか at 13:19| Comment(0) | 日記

方向をなくす

方向をなくす

というのは気持ちにも動きにも言えると思う。

私から相手に何かを伝える、という行為には方向がある。

相手に理解してもらう、という思いにも方向がある。

こうした方向がある動きや意識は、大抵うまくいかない。知らず知らずに「こうあるべき枠組み」を作ってしまい、対象をそこに押し込もうとするからだ。強大な体格や筋力や影響力があればそれでもいいが、わたしも含めて普通はそんなものはない。

私からあなたでもなく、あなたから私でもなく、上下でも左右でも前後でもなく動くとき、相手は相手自身の事情により崩れたり、動かされたりする。

代表の力を受けて、また会員さんのうまくいったときの力を受けて、自身の経験を通じてわかる。

明確でわかりやすい動きが効果的だと、一概には言えないのだ。

もっと曖昧模糊でいい。もっと全体でありたい。

そんな思いで今日もレッスンさせていただきやんす。

最近毎日食べ過ぎのため、本日は食物摂取を最小限にしております。食欲も曖昧であれ。
posted by ゆりか at 13:10| Comment(0) | 日記

2019年06月03日

かたよらない

全身の力を抜いていくにあたり、また体のまとまりが高まるにあたり、大切なのはかたよらないこと。意識も肉体もどこか一部にかたよらない。

相手がいると相手に意識をとられ、集団にいると社会的評価にとらわれ、動くと腕に意識をとられ、力みが重心を浮き上がらせ、意識や肉体は常に様々な条件でかたよろうとする。

それを丁寧に手放していく。稽古中しかり、生活の中しかり、何かにかたよる自身を認識して手放すこと。手放すほど心身はまっすぐに、かつ真下へ落ちる。

生きているすべての事象が省みるきっかけになるな。

さて、かたよる自分を認識しながらレッスンいきますヽ( ̄▽ ̄)ノ
posted by ゆりか at 10:20| Comment(0) | 日記

まとまり

年数をかけて全身の脱力が進んでくると、体はまとまってくる。バラバラに力んでいた体が再統合し、重力というただ一つのルールに則ってまとまる。

黒帯会員さんや私自身の体を通して、以前との違いがよくわかる。

体がまとまるほど重さは増し、安定が増し、動きは小さくなる。まとまりにも程度があるので、まとまり度合いが高まるほど先に挙げた点も増す。

本日もそんな体を味わいます。
posted by ゆりか at 09:12| Comment(0) | 日記