2021年03月30日

立禅時

ちとレッスンまえに考察。立禅時、心身はどうなっているか。最近の感覚だと、かなり重さがある。以前感じていた腕の重さではなく、体が足裏から真下へ落ちる重さ。それに委ねている感がでている。それを消さないよう、歩行したり、ほんのすこしだけ変化してみたりしているうちは動いてもそこまで力まないし、安心感は変わらない。

あ、わかった。あの感じのまま空法に入ればいいんだ。一気に自由舞でなく、空法ならより立禅のまま動けて、自由な動きにつながる。空法をやっているときは、立禅の静けさや安心感、まだ少しあるもんな。

おし、しばらくそれでいきます。
posted by ゆりか at 13:39| Comment(0) | 日記

考えている

ゆっくりした自由舞は立禅に近いので、あえてこう動こうと思わなくともなにかしらの動きができる。が、速く動くほど何をしようか考えていることに気がついた。ちなみに組手も、相手が強いほど何かしら考えてしまう。

ゆっくりした自由舞のようには脳内が静かでなく、目的意識を持ってしまっている。それが力みにつながっている可能性が高い。

実はまだその改善した具体像が思い浮かばない。代表との違いはわかるが自分の姿として想像がつかないのだ。想像がつかないうちはまだできないということ。

ただ、ゆっくり時との違いは認識した。今日も取り組んでみます。
posted by ゆりか at 13:34| Comment(0) | 日記

2021年03月29日

速く動くと

先日の自主練習映像を見てもらうと、自由舞にて、ゆっくり動いているときは全身がある程度均一に脱力しているが、速くなるほど腕が力んでくると指摘してもらった。だから余計に組手では重さがかかりにくいんだな。相手が自由に動くプラス私の力みが増しているからだ。

にゃるほど。

でも昨晩ブログに書いてくれたように、重さは満ちてくるのを待つもの。脱力しようという思いだけ忘れず自主練習や稽古を重ね、その時間が蓄積するほど満ち満ちる。それしかない。

今この瞬間を生きることと、修練による蓄積の大切さは一見矛盾するようだが、きっと常に今この瞬間に脱力する、その繰り返しが身になる。何かを目指して今を疎かにせず、いつでも今に脱力する。

よおーし!( ・∀・)ノ

新しいホイール&タイヤに変えたし、昼から洗車だあー!新しいホイール超似合ってるわあうちの妻(//∇//)うつくすぃ〜
posted by ゆりか at 10:14| Comment(0) | 日記

2021年03月27日

落ちていること

この頃また少し脱力が進んで、落ちていることに気づけるようになってきた。落とすのではなく落ちているのだという事実、現実に向き合えている。

昨日の午前のレッスンでも、川の流れを例にとり、上流から下流へ流れているのは、前提として真下方向への重力があるからだと話した。前へ行こうが横へ行こうが前傾しようが、前提は真下。それを味わうことを太極拳の型を通す際の最優先事項にしようと。

終わってから、それについて面白かったと感想を頂いた。でも落ちていると思うほど、眠りの世界に落ちそうになるとも(^^)

今朝の座位太極拳でも落ちる話をしながらレッスンしたら、いつも一生懸命参加している女性が一人寝ていた笑

あたし、催眠術身に付けたのかな( ̄ー ̄)

落ちていることに気づきながら、自主練習です!
posted by ゆりか at 17:24| Comment(0) | 日記

2021年03月26日

肉体を通じて

最近代表から指導の中で意識についても色々伝えてもらう。中国武術はなんとなく神秘的なイメージが強いらしく、肉体より意識や呼吸を重視すると考えている人は多い。長年中国武術に関わっていると、そういう言葉をよく向けられる。

が、代表からも口酸っぱく言われたのは、徹底して肉体と向き合うこと。脱力も重さも、肉体ととことん向き合うことでしか養われないし深まらない。対人練習や組手も、今の実力、現実をきちんと理解するためにも必要だと教わった。

が、その先にやはり意識の段階があるようだ。黒帯同士だと、代表に教わった意識状態が、出来ているかいないかを確認しあえるので(散々肉体を通じ練習してきて感覚が磨かれたため)非常に面白い。よそから見たら「なにいってんの?」という摩訶不思議な伝え方になるが、意識状態がどう肉体に作用しているかを言葉にすると、そうならざるを得ない。

代表の深化は止まらない。徹底して肉体を通じ、現実を味わいながら、意識による可能性を覗いてみたい。

みんなで進もうくーたいどー、おー!\(^o^)/
posted by ゆりか at 09:35| Comment(0) | 日記